2017年度観劇の記録~前半~
シェイクスピアの言葉の力を感じられる劇だったかと言えばそこは去年見たヘンリー四世の方が上手かった気がする。役者の力量なのかな。こちらのハムレットは多様な解釈を観客に与えられ得る劇だと思った。ヘンリー四世の方はエンタメ性を重視してたからね。そこは歴史劇と悲劇の違い上仕方ないけど。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) April 19, 2017
演出については役者をdoublingさせることの意味合いについて考えたくなったのと、ポローニアス一家そしてホーレイショーとハムレットの距離感の違和感、あとクローディアスその人についての演出すべて、解釈の余地が色々ありそうで見ながら考え込んでしまうような場面がいくつかあったね。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) April 19, 2017
クローディアスの最後、あの演出は私か今まで見てきた、そして想像してきたイメージと全く違ってて、うーん面白かったな。最初から何かクローディアスについては違和感があったんだけど、それは私が今まで考えてきたクローディアス像を覆すものだったからなんだな。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) April 19, 2017
②5/14(日)蜷川幸雄シアター『ジュリアス・シーザー』
凄く良かったのはそれまでの私のジュリアス・シーザーって作品の読みを良い意味でひっくり返してきたからってのもある。戯曲読んでて「ふーん」って感じだった場面が実際に舞台に掛けると大きな意味を成したりね。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) May 14, 2017
演出について気になった点としてはまず最初に役者全員が舞台に出揃って一斉にコートと帽子を脱ぐシーンは視覚的に圧倒された。あとキャシアスとブルータスの死のシーンでシーザーのように血が吹き出る演出がなかったのも意図的なものを感じた。あとはキャシアスの人物描写に興味深いものがあったね。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) May 14, 2017
昨日見たジュリアス・シーザーで気になった部分にブルータスとキャシアスの問答のシーンがある。私はあのシーンは文人ブルータスと軍人キャシアスの相容れない部分を観客に提示する非常にシリアスなシーンだと考えていた。でも蜷川演出では対決の中身は少し拗れた印象に、またおかしみすら感じられた。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) May 15, 2017
最初まじで「なんでこのシリアスなシーンで観客は笑ってるんだろう…」と不気味に感じていたんだけど、あの演出ではキャシアスが怒っていることとブルータスが怒っていることとの間に決定的なズレがあるということが際立っていたので、そうした意味では確かに笑えるのかなと今は思う。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) May 15, 2017
でめその決定的なズレ、っていうのは軍人・文人としてのズレじゃないんだよね。清廉潔白で何物も正しく公平に見ようとするブルータスにはキャシアスがブルータスの何に憤慨しているのかが見えてこない。そしてそれをキャシアス自身も直接伝えようとはしていない。その認識のズレが滑稽で悲しいんだな。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) May 15, 2017
理想主義者ブルータスと現実主義者キャシアスの最初で最後の対決場面がフィリパイの戦い前夜のシーン。でも蜷川演出ではキャシアスの現実主義者としての側面以上に強調されてた部分があって、それが理由であの対決シーンも原作とは違った意味を持つことになったんだろう。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) May 15, 2017
にしてもあのキャシアスはやりすぎだと思う笑
③6/11(日)シェイクスピアシアター 『お気に召すまま』
シェイクスピアシアターは二度目の観劇。前回はロミジュリ、今回はお気に召すまま。
毎回音楽の使い方に疑問を覚えてしまうのがたまに傷なのだけど、今回はそんなことも凌駕してしまうくらいロザリンドが最高だった。ジェイクイズも良かったな~。シェイクスピアシアターは作品解釈に力を入れるのではなく如何にシェイクスピアを素直に、プレインに演出するかに力を注いでいるように感じる。シェイクスピアを素材のまま楽しみたい人には一番おすすめなのではないかな。
評判は聞きつつ一度も見たことがなかった子供のためのシェイクスピアシリーズ。吉田鋼太郎はこのシリーズでオセローのイアーゴーを演じたらしい(めっちゃ見たかった)
リア王はとても思い入れの強い作品だったのでどんな演出になるか楽しみにしていた。感想としては、さすがに子供のためのと銘打っているだけあってとても分かりやすい演出になっていた。子どもが飽きそうな長台詞は何人かで分担させていたり、台詞自体を分かりやすいものにしていたり、時おりギャグを混ぜこんでみたり…細かい演出上の工夫が楽しい。
リアの凄みと狂気、エドマンドの哀しみ、姉二人の女としての愚かしさ…作品上鍵となる人間の一筋縄ではいかない人間らしさ、そういったものが子供でも分かるように、しかし大人でも十分考えさせるように提示されていて良かった。
⑤7/16(日)@新国立劇場『怒りをこめてふり返れ』
『怒りをこめてふり返れ』観劇。詳しい感想はまた後にするとして取り合えず個人的に一番気になってたlost causeの訳は「時代遅れの正義」だった。私が一番初めに読みそして一番衝撃を受けた『怒りを~』での訳「敗れた正義」と近い。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) July 16, 2017
lost causeが「負け犬」的意味だと知ってからは「敗れた正義」って訳を「すっっっごく良い訳だしあえてだろうけど、でも誤訳だよね…」って思ってたんだよね。だから今回私が一番好きだったlost causeの訳が肯定されたようで嬉しかったな。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) July 16, 2017
「僕は敗れた正義かもしれない。でも君が愛してくれるならそんなことはどうだっていいと思えたんだ。」ほんと良い台詞だわ。今回の訳について言えば、戯曲読んでて「うん?」ってなった台詞の多くがかなり説得力をもって受け入れられた。これは役者さんの演技であったり演出のおかげでもあるのかな。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) July 16, 2017
主人公のジミーがとにかく良かった。自分の脆さを隠すために攻撃的にならざるを得ないジミー・ポーターの、根本にある不安定な危うさであったり繊細さ、不器用さというのが実によく表現されていたな。あと戯曲読んだイメージよりも行き場のない彼のどうしようもない情けなさ・弱さが誇張されてた印象。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) July 16, 2017
妻であるアリソンは結構物静かな妙に落ち着いた女性というイメージで読んでたんだけど、今回は彼女の本来持つ天真爛漫さ、無邪気さが表に出ていた。アリソンはそれまでのイメージより激しかった。静かにジミーを制するという印象だったから、舞台でのアリソンは思った以上に魅力的に映ったな。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) July 16, 2017
中村倫也のジミーは、背がスラッと高くて遠目で見てもかっこよかった分「俺みたいな不細工が…」って台詞で「説得力ゼロか!!!」って思ったけど笑、みんなでいるときの刺々しい態度とアリソンと二人でいる時のあんまりにも弱々しい姿のギャップににやにやしてしまった。いや~良いジミー観たわ。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) July 16, 2017
この作品も上記の『リア王』同様思い入れの強い作品なので四月にチケットを取って以来ずっと楽しみにしていた。
今回の『怒りを~』の演出・翻訳で改めてジミーの話す台詞の数々に胸を打たれた。私の大好きな、maybe I'm a lost-cause...から始まる一連の台詞はもちろん、ジミーが父親の死について語る場面、初めて読んだときから印象深い場面だがしかし文字で読むのと実際に見るのとではやはり切迫感が違う。その他様々な場面が実際に命を持って舞台で演じられているのを見たとき、私はこれを目にすることができただけでもう充分だという気持ちになったものだ。
私の感想はもしかしたら元々大好きな作品であるが故のバイアスがかかっているのかもしれないが、しかしそんなことを考えてもあの日私が得た沸き立つほどの感動に水を差すだけだろう。ずっと上演を熱望していた作品の舞台を見ることができた、という何よりの感動に。
追記(2018/1/17)
『怒りをこめてふり返れ』が小田嶋雄志翻訳戯曲賞を授賞していた。私自身この上演の際その翻訳に感動した人間なのでとても嬉しい。おめでとうございます。