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白取千夏雄『全身編集者』感想〜愛という名の矜持

※伝説的漫画雑誌「ガロ」編集者による自伝の感想文ですが、これを書いた人間は全くガロ世代から外れているためこの記事でガロのことはほとんど触れられていません。悪しからず。

あくまで一個人の見解です。

 

 

忙しさにかまけて読書などとんとしなくなっていたのですが、久しぶりに本を購入しました。

それがこの『全身編集者』です。(詳細は下記ツイッターのリンクをチェック)。

 

これを買おうと思ったきっかけを書くと長くなるのですが、まず2014年に私の尊敬する漫画家中川ホメオパシー先生(ツイッターアカウント→@nakagawa_ho)の単行本がおおかみ書房から発売されるという話をお聞きし、劇画狼さんのツイッターをフォロー。その後劇画狼さんのブログ記事でゲラゲラ笑っているうちに白取さんを知り、過酷な闘病生活を赤裸々に綴ったブログ(白取特急検車場【闘病バージョン】)に衝撃を受けました。そして白取さんがお亡くなりになってからは、劇画狼さんが白取さんとの「約束」を果たし、おおかみ書房から白取さんの自伝が出る日を今か今かと待ち続けていました。

 

そして今年五月、白取さんの没後二年経って満を持して『全身編集者』が刊行されました。

 

(ここから長めの個人的余談になりますので感想だけ読みたい方は飛ばしてどうぞ。)

これが手元に渡るまでにはちょっとした紆余曲折があって、まず劇画狼さんのブログでまんだらけに置いてあると書かれていたので一番手近な池袋のまんだらけに行ったんですが、店に入った瞬間からもう「なさそうオーラ」というか、圧倒的場違い感というか、そういうのをびしびし感じてなかなか辛かった。店員さんにも妙な自意識でタイトルを言えず、

 

「あの、、新刊って売ってますか・・・」

 

「あっ同人誌じゃなくて、普通の本というか・・」

 

「いえ漫画じゃなくて、いや漫画について書かれた本ではあるんですが・・」

 

「ていうか、文字の本というか・・・分厚いやつ・・・」

 

と、死ぬほど容量の悪い会話を交わしてしまったうえに結局なかった。みなさん、これはタイトルを言えば一発で解決するやつですよ、覚えておくように。

 

赤面しながら店の外でもう一度ブログを確認したら、まんだらけでも取り扱っている店舗は限られていたみたいで池袋は見事に含まれていませんでした。だよね~~~。誰かのせいにしたいけど自分の顔しか思い浮かばない。

というわけでそのまま中野ブロードウェイまで足をのばして、軽く迷子になりつつやっとのことで本を売っている部門の店舗に到着し、挙動不審に店内をキョロキョロしてたら普通にレジ付近に平積みされてました。灯台下暗し。ちなみにここまでの交通料金、通販の手数料を軽くオーバーしてます。みんな、大人しくおおかみ書房の通販ページで買おうな!!

 

と、いうわけで無事ゲットできたわけですが、読書をするまとまった時間が取れず、昨日の夜にようやく読了いたしました。以下が感想になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

人は何のために生きるのか。

 

生きていたら誰しも、一度はそんなことをちらっとでも考えたことがあると思う。でもそんなこと自分じゃわからなかったり、分かっているつもりでもほんとは分かっていなかったり。結局その答えは生きているうちには分からないままなのかもしれない。

 

『全身編集者』を読んで、ふとそんなことを考えた。白取さんは何に生きたのだろう。何に生かされていたのだろう。

 

この本を読んだ人ならわかると思うが、これはただの一編集者のお仕事エッセイとか、仕事に学んだ人間の自己啓発本とか、そんなものではない。もちろん編集者としての仕事を覗き見できるような、そうした要素は多分にある(なんせタイトルに編集者と入ってる)。仕事での失敗とか、逆に嬉しかったことややりがいを感じたこととか、そういうふつうのエッセイで面白おかしく描かれるようなことは、ご多分に漏れず読んでいて楽しい仕上がりになっている。そういう意味では編集者としての仕事を知るうえでの参考書とも言えるのかもしれないし、さらに文中には著者の人間哲学ももれなく記されているのである意味では自己啓発本にもなりえるのかもしれない。

 

しかしこれは自伝だ。白取さんが伝えたかったことは、仕事がどうとか、俺の生き方を参考にしろとか、そういうことではない。ただ、自分がそこにいた、生きていた、それだけだ。それが白取さんにとって、この本を出版する最大の意味だった。

 

自伝という形だからこそ、伝わるものがある。ざらつく紙のページを一枚一枚めくるたびに、白取さんがもはや存在していないのが信じられないほどに「生きた」言葉たちが胸を貫く。文字という記号を通して浮かび上がる鮮やかな生の炎、生きたいという強い意思をまざまざと感じて打ち震える。白取さんはこの本の中で確かに生きていた。だからこそ、思う。白取さんは何に生きたのか。何に生かされていたのか。

 

白取さんのことを何も知らない、ただこの生への情熱に満ち溢れた本を読んだだけの私は、こう思った。白取さんを生かしていたものは、愛なのだと。

 

 この本は、白取さんの愛したものに溢れている。漫画、編集者としての仕事、ガロという雑誌そのもの、妻やまだ紫、かつての師匠そして弟子…。白取さんの生は、著者が愛したものを語るときにこそ強く輝く。白取さんは編集の仕事を理詰めで行うと書いていたが、その文章には情熱と愛情が迸っていた。中には歯切れ悪く愛が失せてしまったことがほのめかされている登場人物もいるが、その人たちに対してもかつては愛があったことがよく分かる。どこまでも客観的であろう、中立的立場であろうと努める白取さんだからこそ、かつて愛したことに嘘はつけなかったんだろう。そしてその姿勢が、愛に生きた人としての見方をより深めてしまう。

 

愛に生き、おのれの矜持を貫いたまま死んでいった白取さん。こんな文章を読んだ日には、もう白取さんのファンにならざるを得ない。

 

でもだからこそ、かつて著者とともに働いた山中氏のあとがきは衝撃的だった。いや正確に言うと、打ちのめされた。全章読み終わり、もうすっかり白取さんの熱烈なファンになっていた直後のあの文章。しばし呆然とし、文字通り動くことができなかった。何故言わなかったのか、教えてあげなかったのか、そんな虚無感にしばし沈んだ。

 

でも、一夜経ち、こうして文章を打ち込みながら思うことがある。

 

あとがきの山中氏の文章は、白取さんとはある種対照的だった。やるせなさ、諦観、後悔…山中氏にとってガロは過去の重荷だ。白取さんへの感情も複雑なものであることが吐露されていたが、その中で印象に残った問いかけがあった。白取さんは幸せだったのか、との問いだ。

 

山中氏のあとがきを読み、そしてまた白取さんの言葉を思い出し、私なりに考えたことがある。白取さんは、ある部分において、確かに幸せだった。そして、それは彼が愛に生きることができたからだ。山中氏は事実を受け止め、絶望し、打ちひしがれた。しかし山中氏とは違い、白取さんには知らないことがあった。知らなかったおかげで白取さんは自分の愛を信じたまま生き抜くことができたのではないか。白取さんが作中、これほどの潤いに満ちた文章で読者を魅了できたのも、著者がおのれの生き方を愛し、信じることができたからだろう。

 

だから、そういった意味では白取さんは幸せだった。そしてその幸せの一端を担っていたのは、氏が亡くなるまでその事実を口外しなかった山中氏でもあった。もちろん、山中氏の書く言葉もそれが正しいのかどうかには疑問の余地があり、著者の言うように何人かで話し合ってこそ「真実」にたどり着けるのかもしれない。けれども仮にその山中氏の語る「事実」が著者の生前明らかになっていた場合、少なくともあとがきを読んだ時に私が感じた絶望の、その何倍もの衝撃を白取さんが負っていた可能性がある。その時この本は今と同じだけの瑞々しさを湛えていただろうか。

 

そんな気持ちが胸に渦巻きながらも、しかしだからこそこのあとがきは絶対に必要な、最後のピースだったのだと思う。そこに書かれた「事実」があるからこそ、著者である白取さんの生き方がこの本からよりくっきりと浮かび上がってくるからだ。ある種の事実誤認の可能性を確認した今、後に残るのは彼があくまで編集者としてまっすぐと、愛という名の矜持を抱えながら前へ前へと走ってきたその軌跡だ。そう思って再び本を開けば、本の中で生きた言葉を語りながら、しかし彼は実際には死んでしまったのだという、その単純な事実があとがき読後はより痛切に迫り、涙がぽろぽろと零れてしまった。この本の中の白取さんは年を取らない、私たち読者が、何にも知らなかった私たちですら知っていることを未だに知らず、懸命に愛に生きる白取さんしかいない。それが無性に切なく、しかしだからこそ故人への愛しさを何倍にも増幅させるのだ。

 

So long as men can breathe or eyes can see, 
So long lives this, and this gives life to thee.

(人が呼吸をする限り、その目がものを写さなくなるまで

 あなたはここに生き続け、この詩があなたに命を与える)

 ―ウィリアム・シェイクスピア ソネット第十八番

 

 まさにシェイクスピアソネットで語っていたような、そんな本だ。白取さんはこの本の中で永遠に生き続ける。そして読者は白取さんのことをきっと忘れない。忘れたくないと、そう思わせてくれる。そして、ちょっとだけ、この人の真っ直ぐな生き方に憧れてみたりする。

一夜にして白取さんの大ファンになってしまった私としては、この本がなるべく多くの人に届くことになればと、そう願っている。そして各々が、それぞれの思う白取さんを、それぞれの形で愛して欲しい。