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「好きなことを好きなだけ」をモットーに好きなものについて好き勝手書くブログ。

11/18 (土) 『終わりよければすべてよし』/『尺には尺を』@新国立劇場

※今回の投稿で引用する戯曲の台詞は、舞台で使用された翻訳版とは異なるものです。
  台詞回しに実際の上演台本との差異が見られますこと、ご了承ください。



シェイクスピアの問題劇の交互上演】

 珍しい取り組みだなと思ったら、実際かつて例を見ない試みらしい。私はシェイクスピア作品の中でも特に問題劇が好きなので、この演目にはかなりときめいた。
 迷わずチケットを取ろうと思ったものの、気付くのが遅かったこともあり、スケジュールを組んでようやく見に行けたのが千秋楽前日のこの日。

 会場に着くと、流石に千秋楽前(厳密には『尺には尺を』はこの日が千秋楽)だけあって、リピーターと思しき人が多かった。
 私が取ったのはB席のチケットだったが、ドレスアップしたご婦人や紳士、大学生と思しき若い人もちらほら。自分も大学時代、『ヘンリー四世』の観劇の為に訪れた、あの時が初めての新国立劇場だった。今回の演出は奇しくもあの時と同じ鵜山 仁氏によるもの。
 まずは昼公演の『終わりよければすべてよし』から観劇。大学時代に一度戯曲を読んだことがあり、それ以来読んでいなかったので、今回の公演前におさらいをして臨んだ。

『終わりよければすべてよし』(成立年:1602-3 ※パンフレット調べ)

あらすじ

 ルシヨン伯爵夫人には一人息子バートラムがいた。彼はフランス王に召しだされ、故郷を後に、パリへと向かう。だが王は不治の病に蝕まれ、命は長くないと思われていた。
 もう一人、伯爵夫人の元には侍女として育てていたヘレナという娘がいて、その父は、先ごろ他界した高名な医師だった。彼はヘレナに、万病に効く薬の処方箋を残していた。そしてヘレナは、実は密かに、身分違いのバートラムのことを慕い、妻になりたいと願っていた。
 その想いを知った伯爵夫人は、ヘレナにバートラムを追ってパリへ向かうことを許す。パリに到着したヘレナは王に謁見し、亡父から託された薬で王の病を見事に治してみせる。王は感謝の印として、ヘレナに望みのものを褒美として与える約束をする。ヘレナはバートラムとの結婚を望むが、彼はそれを拒否し、自ら志願して、逃げるように戦地フィレンツェへ赴いてしまう。残された手紙には「私を父親とする子供を産めば、私を夫と呼ぶがいい。だがその時は決して来ないだろう。」と認められていた。
 ヘレナは単身、バートラムを追ってフィレンツェへと旅立つ。愛する彼と結ばれるために。
(公式サイトhttps://www.nntt.jac.go.jp/play/shakespeare-dark-comedy/より引用)

感想

 めちゃくちゃ面白かった!シェイクスピアは見るたびに思うが、脚本や展開が本当に面白い。
 時代設定は仕方がないとはいえ確かに古い。けれども、設定だったり展開だったりキャラクターは、今見ると「え!そうなるの!?」と思わされるもので、一周回って新鮮に感じられる。

 特にこの『終わりよければすべてよし』を含めた問題劇は特別そういった側面が強い。
シェイクスピアはゲームチェンジャーとしての側面が強すぎて、有名な戯曲であればあるほど今見ると王道すぎる展開と感じてしまうこともしばしばある。
けれども問題劇は、さながら“問題”とついているだけあって、登場人物も物語の展開もなかなか癖があり、一筋縄ではいかない。
演劇の古典という情報だけを仕入れて、この演目を初めて見た人は休憩前までの展開を見て、「いやこれ、どうやって解決するん!?」て唖然としたんじゃないかと思う。

 一応「喜劇」のジャンルに分けられているだけあって、最後は大団円で終わるものの、演劇が終わった後・登場人物たちのその後を考えるとどう考えても手放しでハッピーエンドとは言い難い。
だからこその『終わりよければすべてよし』のタイトルというか、最後に役者が役から降りて観客に語り掛ける場面は、「皆さんも難しいことは考えず一旦は拍手で終わらせましょう!」とでも言いたげな、苦肉の策のように感じられる。


☆登場人物について

 上で終わり方について取り上げたが、そこに至るまでの過程もやっぱり変だ。登場人物それぞれに眉を顰めたくなるような部分があって、人間性を手放しに賞賛できない。


①推しと結婚した女

 作中で絶賛されているヘレナですら、今の私たちの価値観からすると、「とはいえそもそもの元凶はこの人の我儘だもんな…」というモヤモヤが拭えない。
相手の気持ちも考えずに無理やり結婚させて何が嬉しいんだと思わなくもないが、そのあたりは時代が違う部分もあるので、結婚さえしてしまうばこっちのもの、という意識もあるのかなと思う。

 とはいえ、あんな無理やりなやり方をしている以上、彼女を退けたバートラムについても「無理やり好きでもない人と結婚させられるのはそりゃ嫌だろ…」とわずかながら同情の目で見てしまう。
しかもバートラムのヘレナに対する言い様はあまりにも酷い。(「貧乏医師の娘がわたくしの妻に!…あの女をさげすまずにはいられません!」(二幕三場)等とのたまっている)
ヒロインにとっての王子様でありながら劇中ではしっかり性格の悪い嫌な奴として描かれており、だからこそ最後二人が正式に夫婦として結ばれることになっても、果たしてこれが幸せな結婚と言えるのか、とどうしても考えてしまう。


②今見れば炎上待ったなしの治世者

 そしておそらく今回の鵜山演出を見た誰もが、「フランス王酷くない!?」と一瞬でも義憤に駆られたんじゃないかと思う。
ヘレナは王の病気を治す見返りとして「王の家来の一人と結婚させてほしい」とお願いをする。無事完治した王はヘレナが指名したバートラムに結婚を命じるが、頑として拒否をする。
怒った王はバートラムを足蹴にして、こう言い放つ。

王     お前の名誉をどこへ植えつけようと、
      わしの気持しだいであることを知らぬのか。軽蔑をおさえて、
      お前のためを思うわしの意思にしたがえ。
      その侮蔑がとおるなどと思ってはならぬ。
      お前の運命の決定はわしにゆだねられていることを思い、ただちに服従せよ。
      そうするのがお前の義務であり、またわしにはそれを要求する権力があるのだ。
       (中略)
      わが報復と憎しみが、
      正義の名において、仮借なくそちの身に降り注ぐであろう。
      さあ、返答しろ。

バートラム おゆるしねがいます、陛下。
      好悪は申さず、陛下のお目がねどおりにいたしますゆえ。
     (二幕三場、工藤昭雄訳)

 この時代は王権が今とは比べ物にならないほど強く、だからこそ、上の台詞もそれほどおかしなものではなかったのではないかと思われる。
とはいえ、今の私たちがこれを聞けば、その響きの露骨さと強さに、どうしてもたじろいでしまう。
ここで権力を殊更に主張した台詞は率直かつ重く、だからこそヘレナに対し身分が低いと蔑むバートラムに対してすら、憐憫の情を覚えてしまう。


③メタ視点ヒール

 権力者の持つ内なる精神性を鋭く描いたかと思えば、シェイクスピアはヒール役を単なる悪者としてではなく一人の人間として描くこともできる。
『終わりよければ~』に登場するバートラムのコバンザメキャラのぺーローレスは、口先の上手いほら吹き野郎で、陰では悪口三昧のどうしようもない野郎として描かれている。
 最後、遂に彼の化けの皮が剥がれて、誰からも見放され乞食にまで身を落とさんとする時、シェイクスピアはぺーローレスにこんな台詞を言わせている

 ぺーローレス …ありのままの自分でいれば、生きていくことはできるだろう。
        自分がほら吹きであることを知っているやつは、気をつけたほうがいい。
        どんなほら吹きも、いずれは、ばかの正体があらわれるからだ。
        (中略)ぺーローレスよ、恥をかいてもぬくぬくと生きよ。
        ばかにされたら、それを手だてに栄えろ。
        生きているかぎり、どんな人間にも居場所があり、生活の道がある。
        彼らについて行こう。
       (四幕三場、工藤昭雄訳)

 ここまで徹底的に「人を堕落させる腐ったミカン」として描かれてきたぺーローレスだが、何もかもを失い、通常であれば生きる手立ても希望も見失いそうになる絶望の局面で、シェイクスピアは生きていれば希望がある、と憎まれ役の口を借りて観客に説く。

 この後のシーンでぺーローレスは、かつて彼の人間性を最初に見抜いて批判した大臣・ラフューと再会する。
そこで大臣は「お前は阿呆でもあり悪党でもあるが、食わさないわけにはいくまい。」(四幕二場)と言って、彼に恵みを与える。
大臣の人情深さを感じるとともに、上記のぺーローレスの生に対するスピーチが、ただの言葉として終わらず実感を伴った希望として舞台で体現された瞬間でもある。

 ぺーローレスはコメディタッチの悪役で、ここまで観客は彼の発言や言動に散々笑わされてきた。
そんなヒール役にあえて誰しもが共感しうる生の絶望と希望を表現させるところに、シェイクスピアの人間に対する俯瞰した眼差しが表れている。


☆タイトルの伏線回収と喜劇としての演出の意義

 様々な人物が問題を抱え、その終わり方すら不協和音のように釈然としない響きを残す『終わりよければすべてよし』。
鵜山演出では、ぎこちない「めでたしめでたし」へ向かって積み上げられていく、紆余曲折における違和感を、役者の台詞外の演技や演出で表現していた

 例を挙げると、フランス王がバートラムを足蹴にするといった動きはシェイクスピアの戯曲には描かれていない。
(そもそもシェイクスピアの戯曲には役者の動きの演出は殆ど書かれておらず、大半は台詞と最低限の出入りの記載で構成されている。)
ここで病気から快復した王がバートラムに暴力を奮うことで、フランス王の台詞の苛烈さがより一層際立つ形となっている。

 また、ぺーローレスの台詞の場面では、暗めの照明の中、彼一人にスポットを当て、その台詞が訴えかけるものを強調していた。
生きてさえいれば道は開けると説く彼の、情けなくも毅然とした姿に、観客は同情以上のものを感じ取ったに違いない。

 鵜山演出ではこのように、問題劇そのものが持つズレや軋みの数々が、大げさ・やりすぎではない形で際立つよう演出されていた
その一方で、作品そのものが持つ喜劇としての面白さ(コメディ箇所)も、コミカルな言い方や台詞外の動き等で浮き上がらせて、しっかり笑える作りになっていた。
色々な場面で客席から笑い声が聞こえてきて(流石に下品すぎる場面では聞こえなかった)シェイクスピア好きとしてはとても嬉しかった。
シェイクスピアってなんか堅苦しそう…と感じている人に、「全然面白いんだよ!」と広く伝える役目を、鵜山仁氏の『終わりよければすべてよし』は見事に担ってくれたと思う。

 (以上。)
 


 昼公演終了後、余韻に浸りつつ近くのHUBで腹ごしらえ。
 シェイクスピアといえばイギリス!ということで、フィッシュアンドチップスを頼んだらタイミングが良かったのか揚げたてが来た。凄く美味しかった。
 ついでにお酒も一杯だけ。かつてHUBに来たら毎回頼んでいたアメリカンレモネードが販売しておらず、代わりにサングリアレモネードとして販売されていた。時の流れを感じつつも、美味しかったので良し。
 会場時間に着くと、沢山の人で賑わっていた。今日が『尺には尺を』の千秋楽なので、それを目当てに来ていた人も見受けられた、私にとってはシェイクスピア作品の中で一二を争うくらい好きなのがこの作品なので、本当に楽しみにしていた。そして、その期待を裏切らない素晴らしい舞台を見せてくれた。

『尺には尺を』(成立年:1604-5 ※パンフレット調べ)

あらすじ

 ウィーンの公爵ヴィンセンシオは、突然出立すると告げ、後事を代理アンジェロに託し旅に出る。だが実は、密かにウィーンに滞在したまま、アンジェロの統治を見届ける目的があった。というのも、ウィーンではこのところ風紀の乱れが著しく、謹厳実直なアンジェロが、法律に則りそれをどう処理するのか見定めようというのだ。
 そんな法律のなかに、結婚前の交渉を禁ずる姦淫罪があり、19年間一度も使われたことがなかった。アンジェロはその法律を行使し、婚姻前にジュリエットと関係を持ったクローディオに死刑の判決を下す。だがクローディオはジュリエットと正式な夫婦約束を交わしており、情状酌量の余地は十分にあったのだ。
 それを知ったクローディオの妹、修道尼見習いのイザベラは、兄の助命嘆願のためアンジェロの元を訪れる。兄のために懸命に命乞いをするイザベラの美しい姿に、アンジェロの理性は失われ、自分に体を許せば兄の命は助ける、という提案をする。それを聞いたイザベラはアンジェロの偽善を告発すると告げるのだが、彼は一笑に付し、「誰がそれを信じる?お前の真実は、私の虚偽には勝てぬ」とイザベラに嘯く。
 クローディオの命は?イザベラの貞節は?すべてはアンジェロの裁量に委ねられる。
(公式サイトhttps://www.nntt.jac.go.jp/play/shakespeare-dark-comedy/より引用)


感想

 素晴らしい舞台だった。鵜山演出での『尺には尺を』は、楽しみながらも考えさせられる、れっきとした喜劇として舞台で演じられていた。以下の感想では、舞台上で特に笑いが起きていた二つの場面について述べながら、改めてこの作品の魅力について考えてみたい。
 『尺には尺を』では、公爵代理となり権力を持つ立場になった男が、如何にして本分を忘れて権力と欲望に溺れていくかが詳らかに描かれている。このアンジェロという公爵代理がこの作品のヒールキャラなのだが、例に漏れず他の登場人物もそれぞれが問題を抱えている。


☆兄(犯罪者)妹(修道士見習い)の泥沼押し問答

 被害者として描かれるのは婚前交渉を行い死刑を宣告されたクローディオ、そして彼の妹のイザベラだ。今回の鵜山演出で最も笑い声が起きていたのは、この二人による「処女を捨てる/捨てない」「妹のために命を捨てる/捨てない」の押し問答だ。


① 妹が厳しすぎる

 この場面が何故こんなにも面白いのか。まず第一に、欲望を受ける側となる修道見習いのイザベラの宗教観が、観客からしたら戸惑ってしまうほどの厳しさであることが挙げられる。
 彼女はクローディオが逮捕されたまさにその日、修道院に見習いとして入院するのだが、その際にこんなことを言っている。

 「…もっと厳重な制限が/聖クレアを祖と仰ぐ修道院の者にはほしい…」(一幕四場)

 また、アンジェロに兄の助命嘆願に行く際も、最初はアンジェロに 「もし刑罰に値するものとして記録に残るような罪だけを罰して/その当の罪人を見逃すとすれば、私の職分はないのも同然だ。」(二幕二場)と素気なく断られている。その時の反応といえば、

 「いかにも正しいお裁きです、でも、なんと酷いお言葉でしょう!もう兄のことは諦めました。では、ごめんくださいまし。」(二幕二場)

 そう言って、ルーシオに止められなければアンジェロを止めるどころかあっさり引き下がろうとしていたのだ。

 つまりイザベラは、人間の罪を厳しく取り締まることについて言えば、アンジェロと意見が一致している
ただ、アンジェロはその身が一時的ではあるが権威となった際、自身の欲に抗うことができず、権力を傘にイザベラを手籠めにしようとする。
一方でイザベラはアンジェロのせいで自分の貞操が窮地に立たされ、きっと兄は「喜んで自分の命をなげ出してくれよう」(二幕四場)と信じてクローディオに会いに行く。
さて、妹にここまで信頼されている兄・クローディオの反応は如何に。


② 兄が平凡過ぎる

 そう、この場面が面白い理由、その第二のポイントは、まさにそのイザベラの兄であるクローディオにある。
彼は生活における人間の罪に対しては、ごくごく世俗的な感覚で接している。つまり彼は、積極的に道を踏み外そうとはしないが、かといって厳しく身を律したりもしない、典型的な一般市民だ

 思えば、クローディオの犯した罪も彼の世俗的感覚に起因するものと言える。
持参金を増やしたいという思惑で、夫婦約束を交わしつつ正式に籍を入れていなかったクローディオとその彼女のジュリエッタ。しかし、そうこうしている内にジュリエットは子どもを身籠ってしまう。
 ここで出てきた持参金の話も、夫婦約束を交わした後の婚前交渉も、当時としては珍しくない話である。
事実、一般階級になればなるほど相手の持参金は結婚を占う一つの指針であったし、結婚を決めた相手との間に非摘出子を設けてしまうことも、当時はままあったらしい。
クローディオの罪が実際に誰しも起こり得るものであるからこそ、彼が死刑を求刑されたことは当時の観客からすれば驚きと恐怖を喚起されたに違いない。

 そしてその罪がごくありふれたものであることが指し示す通り、クローディオはそのプレーンな世俗性において、観る者と感覚を共有している。
イザベラとの問答においての彼の言葉はそれを象徴している。

 「死ぬことは恐ろしいことだ。」
 「わたしを生かしておいてくれ。」(三幕一場)

イザベルにそう正直に告げるクローディオ。情けない、情けないが、観客はその情けなさに共感して笑ってしまう。仕方がない、人間の性なのだから。

そしてそんな兄に対し妹は、

「ね、思いきって死ねないの?」(三幕一場)

と真剣に諭す。怖いよ。クローディオが生への執着を見せれば

「お兄さんは卑怯者よ、人非人よ、信義も何も知らない破廉恥漢だわ!」
「どうか、死んでちょうだい!」(三幕一場)

と罵るイザベラははっきり言って常軌を逸していると言って過言ではない。
このあまりの発言に観客は、信じた家族にあっさり裏切られたことへの同情と、実の兄に対して流石に酷すぎると呆れる気持ちでまた笑う。

この場面は、イザベラとクローディオの対照性によって炙り出される、欲求と美徳に翻弄される人間の滑稽さが笑いの肝になっているのだ。


☆五幕一場のラストシーンの描き方に見る演出の「適当」感
① ヒーロー然としていた奴が急に男を出してきた!

 そして、鵜山演出においてこの場面と同じくらい笑いを取っていたのが、最後の公爵のイザベラへの求婚シーンだ。
ここは戯曲のラストシーンにあたる。公爵が見事アンジェロの不正を暴き、クローディオとジュリエッタの正式な結婚を認めた後、何故か唐突にイザベラに求婚をするのだ。

 それまで公爵は神父に身をやつし、アンジェロの不正を暴くため陰で暗躍していた。
その際にイザベラと何度か顔を合わせてはいるが、実はこの時も公爵は神父の姿を借りつつ、イザベラのことを

「あなたを美しくつくりたもうたおかたは、またあなたを善良な人間にも作りあげたもうたのです。」(三幕一場)

と、観客に「おや?」と思わせる発言を口にしている。
また、公爵のイザベラへの好意は、その姿を現した時にも表に現れている。

公爵      さ、ここへ、イザベラ。お前さんの修道僧は今では
        ごらんのとおりの公爵だ。あのときはお前さんの身のためを思い、
        世話もし聖職者としての相談にものってあげたが、
        今でもなおいろいろ面倒を見てやろうと思っている。

イザベラ    どうかお許しくださいまし。臣下の身でありながら、
        知らないとは申せ、君主であられる御前様に世話をやかせてしまって。

公爵      その心配は不要だ、イザベラ。今後とも自由に
        わたしにものを言うがよい。…
       (五幕一場、平井正穂訳)

 ここでの会話では、公爵がイザベラに対してかなり優しく話しかけている。
ここからゆっくりと恋愛に発展するというのであれば、筋は通っているように見えるが、しかし実際は公爵がイザベラに求婚をするのは、同じ五幕一場内での出来事である。
問題のシーンは以下の通り。公爵の計らいで、死刑を宣告されたはずのクローディオが実は生きていることが分かった時、公爵は以下のようにイザベラに求婚する。

 公爵      [イザベラに]もしこの男が兄に似ているようだったら、
         兄に免じてこの男を赦してやろう。これもお前を私が愛しているからだ。
         さ、お前の手をかしてくれ、そしてわたしの妻になると言ってくれ。…
         (五幕一場、平井正穂訳)

 ここから公爵は一人ひとり登場人物に言葉をかけてやるのだが、鵜山演出ではここでの公爵の声掛けが、まるで政治家が選挙区の挨拶にやってきた時のような、妙な白々しさが漂う話しぶりになっている。
そのあまりに堂々とした、誰がどう見てもよき君主と言いたくなるような振る舞いが、却ってイザベラへの急すぎる求婚を際立たせるのだ。

ここで観客が大笑いしたのは、それがあまりに突然であったことに加えて、それまで散々アンジェロを非難してきた公爵が、いくら正規の手続きを踏んでいるとは言え、結局お前もかいと言いたくなるような言動をしたからに他ならない
お前、権力を傘に着てイザベラの体を求めたアンジェロと、何が違うのだと。


② 公爵の求婚とイザベラの反応の納得感

 公爵     …イザベラさん、わたしはあなたの幸福につながるようなあることを申し込みたい。
        もし好意をもって受け入れてくだされば、わたしのものはあなたのものになり、
        あなたのものはわたしのものになるのだが。…
        (五幕一場、平井正穂訳)

 上記はこの戯曲の最後の台詞からの抜粋だが、特筆すべきは、ここにおいてイザベラの返答は台詞に起こされていない
そのため、イザベラが公爵の求婚に対しどんな反応を返したのかについては、演出が試される場面となっている。
公爵の手を取る、というのが定石と言われているが、過去にはイザベラが公爵の頬をビンタした、と解釈したカンパニーもあったらしい。

 今回の鵜山演出では、イザベラは最初に求婚を申し込まれた時、あまりに突然の求婚に何が起きたかよく分かっていないような素振りを見せていた。
そして、上記の台詞を言われた際も、公爵の手を取ることが出来ず、結局公爵が無理やり彼女の手を取っている。そこにあったのは公爵への好意でも嫌悪でもなく、戸惑いの感情

 私はこれまで『尺には尺を』のラストの演出について幾つか過去の例を目にした・耳にしたことがあったが、これが一番しっくりくる演出のように感じた。
 
 確かに、公爵はここまで兄の命を助けるために尽力してくれて、神父としてイザベラに優しく接してくれたが、だからといって結婚できるかは別の問題だ。
そして、残念ながらイザベラには拒否権など殆ど無い。既に両親が他界しているイザベラにとって、兄クローディオが彼女の唯一の家族。その家族が、自分の命を助けてくれた公爵の言うことにNOを告げるはずが無いのだ。

 鵜山演出における『尺には尺を』は、人間の愚かさを笑い飛ばすシェイクスピア戯曲の魅力を鮮やかに蘇らせた。
為政者もお偉方も聖職者も一般市民も、結局はそれぞれ自分の為に動いているという点で同じ穴の貉であることが、上記の二つの場面から読み取れる。
そして、それを知覚として認識するより先に、観客はその滑稽さに笑う。
笑いながら、今こうして感想を書いている私のように、やっぱ人間って愚かだけど面白いなと、この劇を思い出しながらふと思ってくれる人がいたらいいなと願っている。



参考文献
Shakespeare, William, 1564-1616. シェイクスピア全集 2 (喜劇 2). 東京: 筑摩書房, 1974a. Print.

新国立劇場運営財団営業部, ed. シェイクスピア、ダークコメディ交互上演 尺には尺を/終わりよければすべてよし., 2023. Print.

白取千夏雄『全身編集者』感想〜愛という名の矜持

※伝説的漫画雑誌「ガロ」編集者による自伝の感想文ですが、これを書いた人間は全くガロ世代から外れているためこの記事でガロのことはほとんど触れられていません。悪しからず。

あくまで一個人の見解です。

 

 

忙しさにかまけて読書などとんとしなくなっていたのですが、久しぶりに本を購入しました。

それがこの『全身編集者』です。(詳細は下記ツイッターのリンクをチェック)。

 

これを買おうと思ったきっかけを書くと長くなるのですが、まず2014年に私の尊敬する漫画家中川ホメオパシー先生(ツイッターアカウント→@nakagawa_ho)の単行本がおおかみ書房から発売されるという話をお聞きし、劇画狼さんのツイッターをフォロー。その後劇画狼さんのブログ記事でゲラゲラ笑っているうちに白取さんを知り、過酷な闘病生活を赤裸々に綴ったブログ(白取特急検車場【闘病バージョン】)に衝撃を受けました。そして白取さんがお亡くなりになってからは、劇画狼さんが白取さんとの「約束」を果たし、おおかみ書房から白取さんの自伝が出る日を今か今かと待ち続けていました。

 

そして今年五月、白取さんの没後二年経って満を持して『全身編集者』が刊行されました。

 

(ここから長めの個人的余談になりますので感想だけ読みたい方は飛ばしてどうぞ。)

これが手元に渡るまでにはちょっとした紆余曲折があって、まず劇画狼さんのブログでまんだらけに置いてあると書かれていたので一番手近な池袋のまんだらけに行ったんですが、店に入った瞬間からもう「なさそうオーラ」というか、圧倒的場違い感というか、そういうのをびしびし感じてなかなか辛かった。店員さんにも妙な自意識でタイトルを言えず、

 

「あの、、新刊って売ってますか・・・」

 

「あっ同人誌じゃなくて、普通の本というか・・」

 

「いえ漫画じゃなくて、いや漫画について書かれた本ではあるんですが・・」

 

「ていうか、文字の本というか・・・分厚いやつ・・・」

 

と、死ぬほど容量の悪い会話を交わしてしまったうえに結局なかった。みなさん、これはタイトルを言えば一発で解決するやつですよ、覚えておくように。

 

赤面しながら店の外でもう一度ブログを確認したら、まんだらけでも取り扱っている店舗は限られていたみたいで池袋は見事に含まれていませんでした。だよね~~~。誰かのせいにしたいけど自分の顔しか思い浮かばない。

というわけでそのまま中野ブロードウェイまで足をのばして、軽く迷子になりつつやっとのことで本を売っている部門の店舗に到着し、挙動不審に店内をキョロキョロしてたら普通にレジ付近に平積みされてました。灯台下暗し。ちなみにここまでの交通料金、通販の手数料を軽くオーバーしてます。みんな、大人しくおおかみ書房の通販ページで買おうな!!

 

と、いうわけで無事ゲットできたわけですが、読書をするまとまった時間が取れず、昨日の夜にようやく読了いたしました。以下が感想になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

人は何のために生きるのか。

 

生きていたら誰しも、一度はそんなことをちらっとでも考えたことがあると思う。でもそんなこと自分じゃわからなかったり、分かっているつもりでもほんとは分かっていなかったり。結局その答えは生きているうちには分からないままなのかもしれない。

 

『全身編集者』を読んで、ふとそんなことを考えた。白取さんは何に生きたのだろう。何に生かされていたのだろう。

 

この本を読んだ人ならわかると思うが、これはただの一編集者のお仕事エッセイとか、仕事に学んだ人間の自己啓発本とか、そんなものではない。もちろん編集者としての仕事を覗き見できるような、そうした要素は多分にある(なんせタイトルに編集者と入ってる)。仕事での失敗とか、逆に嬉しかったことややりがいを感じたこととか、そういうふつうのエッセイで面白おかしく描かれるようなことは、ご多分に漏れず読んでいて楽しい仕上がりになっている。そういう意味では編集者としての仕事を知るうえでの参考書とも言えるのかもしれないし、さらに文中には著者の人間哲学ももれなく記されているのである意味では自己啓発本にもなりえるのかもしれない。

 

しかしこれは自伝だ。白取さんが伝えたかったことは、仕事がどうとか、俺の生き方を参考にしろとか、そういうことではない。ただ、自分がそこにいた、生きていた、それだけだ。それが白取さんにとって、この本を出版する最大の意味だった。

 

自伝という形だからこそ、伝わるものがある。ざらつく紙のページを一枚一枚めくるたびに、白取さんがもはや存在していないのが信じられないほどに「生きた」言葉たちが胸を貫く。文字という記号を通して浮かび上がる鮮やかな生の炎、生きたいという強い意思をまざまざと感じて打ち震える。白取さんはこの本の中で確かに生きていた。だからこそ、思う。白取さんは何に生きたのか。何に生かされていたのか。

 

白取さんのことを何も知らない、ただこの生への情熱に満ち溢れた本を読んだだけの私は、こう思った。白取さんを生かしていたものは、愛なのだと。

 

 この本は、白取さんの愛したものに溢れている。漫画、編集者としての仕事、ガロという雑誌そのもの、妻やまだ紫、かつての師匠そして弟子…。白取さんの生は、著者が愛したものを語るときにこそ強く輝く。白取さんは編集の仕事を理詰めで行うと書いていたが、その文章には情熱と愛情が迸っていた。中には歯切れ悪く愛が失せてしまったことがほのめかされている登場人物もいるが、その人たちに対してもかつては愛があったことがよく分かる。どこまでも客観的であろう、中立的立場であろうと努める白取さんだからこそ、かつて愛したことに嘘はつけなかったんだろう。そしてその姿勢が、愛に生きた人としての見方をより深めてしまう。

 

愛に生き、おのれの矜持を貫いたまま死んでいった白取さん。こんな文章を読んだ日には、もう白取さんのファンにならざるを得ない。

 

でもだからこそ、かつて著者とともに働いた山中氏のあとがきは衝撃的だった。いや正確に言うと、打ちのめされた。全章読み終わり、もうすっかり白取さんの熱烈なファンになっていた直後のあの文章。しばし呆然とし、文字通り動くことができなかった。何故言わなかったのか、教えてあげなかったのか、そんな虚無感にしばし沈んだ。

 

でも、一夜経ち、こうして文章を打ち込みながら思うことがある。

 

あとがきの山中氏の文章は、白取さんとはある種対照的だった。やるせなさ、諦観、後悔…山中氏にとってガロは過去の重荷だ。白取さんへの感情も複雑なものであることが吐露されていたが、その中で印象に残った問いかけがあった。白取さんは幸せだったのか、との問いだ。

 

山中氏のあとがきを読み、そしてまた白取さんの言葉を思い出し、私なりに考えたことがある。白取さんは、ある部分において、確かに幸せだった。そして、それは彼が愛に生きることができたからだ。山中氏は事実を受け止め、絶望し、打ちひしがれた。しかし山中氏とは違い、白取さんには知らないことがあった。知らなかったおかげで白取さんは自分の愛を信じたまま生き抜くことができたのではないか。白取さんが作中、これほどの潤いに満ちた文章で読者を魅了できたのも、著者がおのれの生き方を愛し、信じることができたからだろう。

 

だから、そういった意味では白取さんは幸せだった。そしてその幸せの一端を担っていたのは、氏が亡くなるまでその事実を口外しなかった山中氏でもあった。もちろん、山中氏の書く言葉もそれが正しいのかどうかには疑問の余地があり、著者の言うように何人かで話し合ってこそ「真実」にたどり着けるのかもしれない。けれども仮にその山中氏の語る「事実」が著者の生前明らかになっていた場合、少なくともあとがきを読んだ時に私が感じた絶望の、その何倍もの衝撃を白取さんが負っていた可能性がある。その時この本は今と同じだけの瑞々しさを湛えていただろうか。

 

そんな気持ちが胸に渦巻きながらも、しかしだからこそこのあとがきは絶対に必要な、最後のピースだったのだと思う。そこに書かれた「事実」があるからこそ、著者である白取さんの生き方がこの本からよりくっきりと浮かび上がってくるからだ。ある種の事実誤認の可能性を確認した今、後に残るのは彼があくまで編集者としてまっすぐと、愛という名の矜持を抱えながら前へ前へと走ってきたその軌跡だ。そう思って再び本を開けば、本の中で生きた言葉を語りながら、しかし彼は実際には死んでしまったのだという、その単純な事実があとがき読後はより痛切に迫り、涙がぽろぽろと零れてしまった。この本の中の白取さんは年を取らない、私たち読者が、何にも知らなかった私たちですら知っていることを未だに知らず、懸命に愛に生きる白取さんしかいない。それが無性に切なく、しかしだからこそ故人への愛しさを何倍にも増幅させるのだ。

 

So long as men can breathe or eyes can see, 
So long lives this, and this gives life to thee.

(人が呼吸をする限り、その目がものを写さなくなるまで

 あなたはここに生き続け、この詩があなたに命を与える)

 ―ウィリアム・シェイクスピア ソネット第十八番

 

 まさにシェイクスピアソネットで語っていたような、そんな本だ。白取さんはこの本の中で永遠に生き続ける。そして読者は白取さんのことをきっと忘れない。忘れたくないと、そう思わせてくれる。そして、ちょっとだけ、この人の真っ直ぐな生き方に憧れてみたりする。

一夜にして白取さんの大ファンになってしまった私としては、この本がなるべく多くの人に届くことになればと、そう願っている。そして各々が、それぞれの思う白取さんを、それぞれの形で愛して欲しい。

 

2.3札幌 私の愛したヒール(または私は如何にしてプロレスにハマり鈴木軍を愛するようになったか)

※プロレスを好きになって一ヶ月、そして鈴木軍のファンになって一週間というハマりたてどニワカが見た2.3札幌の感想、およびプロレスと鈴木軍を好きになった経緯を書いたものです。プロレスファンの方はどうか、どニワカが自分の気持ちの整理のために書いたものだから、と生温い目で見ていただけると幸いです。
※なにぶんハマりたてて知識も乏しい状態で書いているので、あれこここうじゃなかったっけ?とかいやいやこれは違うでしょ、とかありましたら遠慮なくご指摘ください。有難がって喜びます。
※ご多分に漏れず無駄に長いです。






突然ですがつい一ヶ月ほど前からプロレスにハマりました。




すべてはいつも愛読しているお笑い番組感想ブログで『有田と週刊プロレスと』が紹介されていたことから始まった。
そのブログで『有プロ』が太鼓判を押されていたので興味を持って見てみたところ、案の定その面白さにぐいぐいと引き込まれてしまった。初めは有田さんの軽妙な語り口と二次利用で画質の荒い写真の数々だけでも十分満足していたのだが、だんだんと「実際の映像も見たい」という気持ちがむくむく湧いてきて、途中からは一話見終えるごとにYouTubeで当時の動画を検索していた。
番組を見始めたのは昨年の師走の暮れ、そこからなんとかおおよその回を視聴し、今年初めの桜庭選手の回だけは配信直後に視聴することができた。そしてその頃にはすっかりプロレスそのものに心奪われていた。


有プロで大きく語られるのは試合内容の詳細、試合結果ではなくその裏にあるレスラーたちの人間ドラマ、彼らの生き様だ。
この人が何故このような行動を取ったか、何故こんなことを言ったのか、その背景にあるドラマが垣間見えた時、人はその人物に愛着を持たざるを得なくなる。
有田さんの語り口からは、氏がレスラーたちのそうした紆余曲折を見届けた上で、だからこそ彼らを愛してやまないことがはっきりと伝わってきた。有田さんのプロレスそしてレスラーたちへの熱い思いが伝染して、私もこうしてプロレスを好きになった。



そうして年明けからはYouTubeでプロレス動画を漁る日々が始まった。
有田さんが番組で紹介していた試合の動画はもちろん、再生回数の多そうな試合やマイクパフォーマンスの動画などもいくつか拝見した。有田さんが「やっちゃダメ」と語っていた全日本の四天王プロレスは最初こそ怖さを感じたものの徐々に面白さが勝っていき、そして気づけば結果など度外視でひたすら熱狂していた。と同時に、当時のお客さんが”麻痺していった”感覚を身に染みて体感し、そんな自分に恐怖したりもした。


動画視聴の他、幕張で行われていた新日本プロレスの興行にもお邪魔した。
ちょうどメキシコのプロレス団体CMLLとの共同興業ロードの最中で、一度に二つの団体が観れて初心者としてはとてもお得な気持ちになった。メキシコの選手達の華麗な飛び技に目を見張り心ときめかせ、また大技が出たら素直に「おおっ」と喜んだり好きな選手を大っぴらに応援したりと自由で開放的な現地の雰囲気をすっかり気に入ってしまった。
こうして、現地観戦をしたことでプロレスへの熱はますます高まることとなった。



その後、これはつい一週間ほど前の出来事である。最初に現地観戦したのが良かったのかまず新日本プロレス内に目出度く推しが誕生した。鈴木みのる、そして鈴木軍だ。


きっかけはたまたま見つけた動画クリップと、埼玉で行われた新日本プロレスの興行だ。
私が見つけたクリップは、ザックセイバーJrと鈴木みのるが対戦している試合の切り抜きだった。鈴木みのるは有プロでも何度か名前を聞いていたので少しは知っていた。80年代から今までずっと第一線で活躍し続けるベテランレスラー。相対するザックセイバーJrはパッと見て、若く顔の整った外国人レスラーというぼんやりとした印象を抱いた。
そんなほとんど予備知識もない状態で何気なく動画を再生した。そして衝撃を受けた。何に?鈴木みのるにだ。

鈴木みのるがつい最近もオカダカズチカ選手とベルトを賭けてメインで戦ったというのは有プロを見て知っていた。しかしその回に関しては長州力襲撃事件の印象が強すぎて、この二人の対決についてはすっかり検索するのを忘れていた。だから鈴木みのるのことはきっと良い選手なんだろうな、と思いつつもまだまだよく知らずにいた。だが、この二人の戦いを見てプロレスど素人の私もようやく「この鈴木みのるという選手は本当に、本当に良い選手なんだな」とはっきり実感した。

両者の関節技の掛け合い、読み合い、ほんの数分程度のクリップだったがその間終始圧倒していたのは鈴木みのるのように見えた。場数の違いか、熟練の技か、その両方か。このクリップの最後に見せた鈴木みのるの余裕の指差しに、私のハートは一発で打ち抜かれた。

すぐにこの対決について調べてみたところ、これはどうやらタッグリーグ戦で起きた対戦で、最終的にはザックセイバーJrが鈴木みのる以外の誰かから3カウントを奪ったとのことだった。そしてザックセイバーJrが実は鈴木みのるが長である『鈴木軍』のメンバーであり、関節技を極めたサブミッションマスターという異名を持つことを知った。ついでに彼が3カウントを取った相手は有プロでもちらりと触れられていた、村上和成選手をスリーパーホールドで病院送りにさせた飯塚高史ということ、そして彼が今年の二月を持って引退することも改めて知ることになった。


そんな二人の攻防を見た次の日の埼玉の興行。私は俄然鈴木軍に興味を持った状態で観戦することになった。

相手は今飛ぶ鳥を落とす勢いのロスインゴベルナブレスデハポン。そのリーダーである内藤選手は、私がプロレスファンでない時でさえその名前を知っていた有名人だ(東スポ食い逃げ記事のまとめツイートで)。
先に登場した鈴木軍よりもロスインゴ組の方が声援が多い気もしたが、しかし一階席には鈴木軍の軍団旗を掲げるお客さんの姿もあり根強い人気を感じた。試合は初っ端から場外乱闘という荒れ模様だったが、私はといえば試合中鈴木みのるとザックセイバーJrが二人してSANADA選手に関節技を決めている姿にこの日一番の興奮を覚えた。そして結果として、試合が終わる頃には無心で「鈴木軍一バーン」とぶつぶつ呟く近寄り難い人間と化していた。
こうして、私は札幌二連戦の一週間前に晴れて鈴木軍の新規ファンとなった。


ファンになってからはまず初めに鈴木軍について検索して情報を集め、動画を探した。
なるほど、鈴木軍がいわゆる悪役、ヒールレスラーの集団であることは知っていたが、その歴史もなかなか興味深い。
一時期は新日本だけでなくNOAHに活躍の場を移していたこともあり、その頃の動画では鈴木軍の勝利後リングに大量のゴミが投げつけられるという前代未聞の光景が広がっていた。まるで往年のプロレスか、いやしかしこれはつい最近の出来事だ。そしてそんな異様な状況でもしっかりと憎たらしくヒールとしてマイクを行う鈴木みのるを見て、はっきりと分かったことがあった。

そう、鈴木軍は紛うことなき「悪党」、ヒールに徹している。だからエンタメの枠を超え、ここまで観客を本気で怒らせることができるのか。

誰かを本気にさせ、そのヒールとしての暗い影でもって相手に眩いばかりの光を当てる。その徹底した悪役ぶりに感嘆し、私の鈴木軍への「好き」の燃料はどんどん給油されてゆくばかりだった。


そうなると俄然、札幌大会に向けて行われていたロスインゴベルナブレスデハポンとの抗争も興味深く見るようになった。ここで一躍脚光を浴びていたのが鈴木軍の二番手という立ち位置にいるタイチだ。

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YouTubeに上がっている鈴木軍の試合動画を見る限り、戦法は小狡くあくまで卑怯に、反則なども駆使しながら戦っていく選手。そんな姑息なファイトスタイルでありながら、現地観戦した埼玉での試合ではかなり良い役どころを担っているようにも見えた。そこで検索してみると、なんと彼の師匠に当たる人物は実は四天王プロレスで名を馳せた川田利明だということが分かった。

えっ!と意外性に驚いて更に調べてみると、どうもタイチはヘビー級転向後頻繁に川田利明の技をかけており、またフィニッシュホールドのブラックメフィストは川田の海外遠征時のリングネームから取っていた。なんだそれは凄くアツい話じゃないか!四天王プロレスの動画を見て興奮していた身としてはこの師弟の繋がりに大いに感銘を受けてしまい、俄然タイチも応援するようになった。



そうして鈴木軍への大好きがしんしんと降り積もった状態で迎えた雪の札幌決戦2月3日。私はその前日新日本プロレスワールドに新規加入していた。鈴木軍の勇姿をこの目で見たいという気持ちをどうしても抑えることが出来なかったのだ。当日は喫茶店を梯子しコーヒー代に財布を圧迫されつつなんとか最初から最後まで一通り観賞した。


プロレスファンならもうご存知だろうが、結果は鈴木軍の全敗。ロスインゴベルナブレスデハポンが鈴木軍を一掃する形になった。


試合の後、私は交通機関も使わずに歩いて家に帰り、そこで静かに泣いた。鈴木軍が負けて悔しい、悲しい、そういう気持ちもある。でも、それだけじゃない。もやもやと心の中で渦巻く何かがあった。それが何か分からない、すぐには言葉に出来ない。でも、悔しさや悲しさを超えたもっと違う何か。


そこで思い出した、有プロを見たときに感じたもの。あの時、番組を通して私はプロレスの何に心を惹かれたのか。それはレスラーたち一人一人の人間ドラマ、その生き様。



極寒の札幌、あの地で鈴木軍は彼らの生き様を見せてくれた。



メイン前に行われた二つの直接対決はどちらも素晴らしかった。

Jrタッグ挑戦試合、いぶし銀金丸義信が見せた試合巧者ぶり。鷹木選手とのやり合いは時が経つのも忘れて見入った。
また鈴木みのるとザックセイバーJrの二人が徹底して関節技で攻め込んでいる姿に自然と胸が熱くなった。タイトルをかけた戦いで二組とも敗北を喫してしまったが、そのリングでの戦いぶりを見ていると握る拳にも力が入った。



でも私がそれ以上に胸を打たれたのは、メインのタイチと飯塚高史に対してである。

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地元北海道でメインイベントを任されたタイチ。あの試合はたとえ負けたとしても、本人が事前に言ったように正々堂々と戦っていれば、彼はヒーローにもなり得た。勝てば金星、負けても「よくやった」と、そう讃えられても全くおかしくはなかった。

けれどもタイチはそうはしなかった。彼が選んだのはあの場において絶対的ヒールとしての立ち位置に君臨することだった。

タイチの影によって、内藤選手は札幌の地で”ベビー”となる。そしてそれはいつまでも変わらぬ「悪党」であり続ける、鈴木軍としての矜持をまざまざと見せつけていた。


そしてそんな、札幌の地のヒーロー、ベビーとなった内藤選手を光らせたもう一人の立役者が、タイチと同じ北海道出身の飯塚高史

自身最後の北海道決戦で飯塚高史は最悪の、いやヒールとして最高の手柄を立てた。それは飯塚高史自身の今の自分の生きる道への肯定でもあり、そのヒールとしての十年もの日々をはっきり”生き様”として私たちに伝えた瞬間でもあった。


だから私は、花道で内藤選手を密かに付け狙う飯塚高史とそれをニヤニヤと見つめるタイチの姿がカメラに映された時、「ああ、そうか…」と、どうにも涙が溢れて仕方なかった。
あの瞬間、勝負より何より彼らの生き様が、二人の生まれ故郷である北海道のリングにくっきりと浮かび上がっていた。

あの時、本来なら歓声を受けてもいいはずの地元のリングで、会場にいる殆どの観客に「帰れ」と大声で連呼されるタイチを見た時、私は喫茶店で涙を堪えながら心の中で「卑怯だぞ、聖帝タイチ」と呟いた。
あの場で内藤選手が真のヒーロー、ベビーとしてリングに立ったように、あのリングでのタイチは正にみんなの嫌われ者、文句のつけようのないれっきとしたヒールそのものだった。



ファンになってまだたった一週間、まさかこんなに心かき乱されることになるなど思ってもみなかった。



けれども私の涙はまだ枯れていなかった。東スポを通じて師匠川田利明の店に行き、また全日本のレジェンドジャンボ鶴田の名を口にしたりとここ最近のタイチは自分のルーツを匂わせるような行動が目立った。その伏線をこの日タイチはリング上で回収した。
大舞台で繰り出した渾身のストレッチプラムだ。


プロレスは技に物語を込める、ファンブログなどでよくそんな話を目にしていた。
私が見たザックとみのるのクリップ、この試合でも実は飯塚高史がザックにあの伝説的スリーパーホールドを決めていた。Wikiによるところヒールになってから殆ど使っていなかったらしい、選手一人を入院させるほどの威力をもつ彼の代名詞とも言える技。それを鈴木軍タッグ対決でしてみせたことにグッときた人も多かったようだ。
また、技ではないが1.4東京ドームの試合でクリス・ジェリコ選手が見せた冬木弘道さんのマッチョポーズも、昔を知るプロレスファンは敏感に反応していた。


そして今回のストレッチプラム。
私が札幌決戦前に読んだブログによると、タイチは川田利明の代表的な技の中で唯一このストレッチプラムだけはまだ解禁していなかったとのことだった。それをタイチはこの大一番に持ってきた。ブーイングを一身に受けるヒールとして、自分の生き様をはっきり指し示しながら、それでもレスラーとしての彼の意地、メッセージがこの技に込められているように感じた。ここでまたどうにも込み上げるものが抑えきれなかった。いやお前好きになってまだ一週間やろ何見てきたように語っとるんやとか言わないでくれ頼む。



もちろん、この札幌での戦いは鈴木軍だけじゃない、ロスインゴベルナブレスデハポン、とりわけ内藤選手にとっても自分の生き方を明確に描いてみせた日だったんじゃないかと思う。
内藤選手はプロレスラーとしていつでも”お客様”のために、そう思ってリングに立ってきた人だと認識している。これは何があってもお客様を楽しませるために試合に立つ、そんなプロレスラーとしての彼の信念が浮き彫りになった試合でもあった。
きっとロスインゴのファンの方は内藤選手の生き様に胸震わせただろう。ボロボロになりながらも懸命に戦う内藤選手の姿に涙も溢れただろう。ハマりたての私が鈴木軍のヒールぶりに思わず涙した、その対角線上ではまた別のドラマが誰かの頬を濡らしていたのだ。


そう、いつも有プロが言っていた。プロレスとは人生。そして番組での有田さんの語り口からも分かるように、一つの試合に対しても見方は一つだけではなく、それぞれのサイドからのストーリーがそこにはある。
2.3雪の札幌で、私はそんな人生を、レスラーたち一人一人のドラマを、起きた出来事それ自体よりもそれによって垣間見えた彼らの生き様から感じることができた。そして好きになった以上は改めて、咽び泣きながらもこう言うしかないと悟ったのだ。「いやあプロレスって、面白いな!」と。



そんなニワカの感想でした。
偉そうなこと言ってほんとすみません!!!




(私の愛したヒールたちへ)
Mr. Bad Guy – Freddie Mercury
youtu.be
“It's the only way to be
That's my destiny”

Everybody's On The Runで小ネタ

※昔のブログからのサルベージです。リンクなど少し修正しました。

 

 

 

 

どうも、畑上です。

どうでも良いですが今日はこの曲のLiveでの見どころについてお話したいと思います。

 

それはずばり、サビ前の「Everybody's on the run~♪」の時のNoelの足!

 

 

 

 

 

 

youtu.be

Everybody's On The Run(Live)

 

 

 

流石は一流ソングライター!歌詞に一分も違わず歌いあげたいのか自分もOn The RunしてますwEverybodyって言ってますからね。僕もその一人だと。

 

いや正直Everybody On The Runのライブ映像見る度これなんで大爆笑です。「うわぁwまた走ってるw」とか思ってしまう不届き者です。すみません。

 

曲はキチンと聴けばそれはそれは洗練されていてカッコいい曲です。これを機会に曲の良さとNoelの足の動きに注目してみてはいかがでしょう?きっとまた新たな発見があるかも!

John Deaconファンの見たLive In Budapest(ハンガリアン・ラプソディー)

※いつものことですが感想と言いつつほとんどベーシストのジョン・ディーコンさんのことしか書いてません。

※ぶっちゃけ感想というよりはほぼ書き殴り状態です。とても読みにくいと思いますが悪しからず。

※感想自体は映画公開前に書かれたものです。感想の中に一箇所映画に関する言及もありますが、予告編しか見ていない時点でのイメージだと考えていただけると幸いです。

 

 

先日久しぶりにブログを公開した際、下書きに妙なメモ書きが残っているのを発見した。Live In Budapestについて書かれた感想だ。何気なく読んでみて、お蔵入りにした理由を思い出した。色々と補足しないと見てない人にはさっぱり分からない表現が多々見られる。修正しないとなーと思っていて忘れていたのだ。そしてそうこうしているうちに映画が公開され、今や世間はクイーンブームに沸いている。こうなっては腹をくくろう。こんな殴り書きのメモでも人によっては映像作品を購入する際の参考にな……らないだろうけどもういいや。

というわけで、Live In Budapestを演奏曲順に一言感想を言っていくというエントリーです。手直しするのがめんどくさかったのでYoutubeに落ちていたこのライブの動画を拾ってきました。Budapestとタイトルにあるので私の見た映像とおそらく同じはずです。何言ってんのこの人と思ったら映像リンクで確認してくれ!(無責任)

ではスクロールして、どうぞ〜。

 

 

 

 

 

 

Queen | One Vision (Live in Budapest 1986 - 24p Remastered DVD) - YouTube

絶対歌ってないのにマイクの前に立つディーコンさん

 

 

Queen - Tie Your Mother Down (Live At Budapest) - YouTube

だから歌ってないだろって

結構映るぴょこぴょこ跳ねながらも面立ちはクール。どういうテンションなのかさっぱり分からんぞ。あ、通常運転か。

 

 

In the Lap of the Gods...Revisited - Hungarian Rhapsody - YouTube

もしまじで歌ってるなら金払うわ(しつこい)

二曲続けての初期曲、やっぱ華やかで好きだなと

 

 

Seven Seas of Rhye - Hungarian Rhapsody - YouTube

てここで七つの海きたーーーーー

悦に入るディーコンさん

 

 

Queen - Tear It Up (Live In Budapest, 1986) - YouTube

ベース良いよ~。ほんとなんかクールでかっこいいわ。どうしたんすかこの大人の魅力???

ベースを替えにハケるディーコンさん。

 

 

Queen - A Kind Of Magic (Live in Budapest 1986) HD - YouTube

この曲が意外にも(失礼)人気があったことが伺える観客の声援。てかライブアレンジ最高すぎか??メイ様のコーラスかわいい。

ここでディーコンさん、歌うふりを諦める笑

映画の予告編見たときは正直あんま似てないと思ってたけど、この映像だと一瞬ラミマレックに見える瞬間があるな(フレディ)

アオリのカメラがベースに集中してる朴訥とした表情のディーコンさんを映してくれたけど最高すぎる。こういう表情、若い頃と変わってないねすごく好き。ニューアルバムの曲でこれまで演奏したことないから集中してるんだろうけど、目の前でこんな表情で演奏されたら私だったら集中できない。クイーンのメンバーじゃなくて良かった~!

しかしここのベースソロ、良い音だな震える

アフロを掻くディーコンさん。さぞ触り心地良いだろうよ、ふわふわだし。

ノリノリで首振るディーコンさんかわいすぎか

最後じゃん!で仰け反るディーコンさん死ぬほどかわいいな。かわいいしか言ってないけどまじでかわいいんだよ文句あるならディーコンさんに言ってくれ(迷惑)

 

 

Freddie Mercury Solo - Hungarian Rhapsody - YouTube

オフショットフレディ編。大げさにWhy?ってポーズしてふざけるディーコンさんやばすぎる。みんなーーーーここにかわいい人がいるぞーーーーーー!!!!

 

インターバル

フレディをみるディーコンさん

 

 

 

Queen - Under Pressure - Live in Budapest 1986/07/27 [Live Magic Audio] - YouTube

ベース弾きながら悦に入る。そういえばこの曲はホットスペース曲では唯一ヒットしたんだったな。なんかにこにこしながらベース弾いてたディーコンさん、萌え。

 

 

Queen - Who Wants To Live Forever, Budapest Live HD - YouTube

シンセ弾くメイ様かわいい。バラード曲でオタクと化す観客(要出典)

二番の冒頭でドラムが入るというのにディーコンさんは二番のサビまでハブられる。まあアルバムだとベース完全にハブだからそれよりはマシかな!!!!でもここではベースがめちゃくちゃメロディアスでグッジョブです。ギターもカッコ良し!いやこの曲のライブ版めっちゃ良いな。ディーコンさんの真価が出てるよ。

 

 

Queen - I Want to Break Free Legendado Live in Budapest 1986 (Hungarian Rhapsody) - YouTube

フレディの声も良い感じにノってきた。口半開きでベース弾くディーコンさん、性癖(直球)。hiって笑うフレディ素敵だね。ディーコンさんのベースプレイにも気持ちがこもってるよ。

 

 

 

Queen - 12. Guitar Solo (Hungarian Rhapsody - Live in Budapest 1986) - YouTube

最初とか特にだけどディレイ効きすぎて映像と合ってないように見える。不思議な感覚。

おじさんになったメイ様は昔より表情とか顔に人間味が増したような気がする。初期のメイ様はまじで人間とは思えないというか、ギリシャ彫刻みたいな顔立ちだったからなって何の話だ。

ギターソロをバックに突如挟み込まれる謎の映像。あれか、ギターソロに飽きてきたみんなのためだな。よくわかってるじゃないか!←

そんなわけでオフショットメイ様。浮遊する気球、そしてそれに乗るヘルメット姿のメイ様。すみません、面白すぎますわ。ちょっと不安そうにしがみついてるのがまた笑いを誘う。

あ、人間味の原因分かった、髭だわ。あとちょっと太ったよね。痩せて髭剃ってくれ(冷酷)

最後の笑顔爆裂キュート。ゆるせる(何を?)

 

 

Queen - Now I'm Here (Live In Budapest, 1986) - YouTube

ロジャーのドラム最高かよ。慣れ親しんだライブナンバー。ディーコンさんもよく動きます。短い間にピックをもちかえるディーコンさん仕事人~。ギターソロの時のベースがよく響いてて良いわ。

 

 

Queen - Love Of My Life (Hungarian Rhapshody Live in Budapest) 27.07.86 - YouTube

伏し目がちのメイ様きれいなお顔が際立つな。しかし良い曲だ。こういうアレンジはフレディの声の良さが際立つね。こういう華やかな初期のバラード大好きだよ。ディーコンさんは出てないけど…(仕方ないだろ)

 

 

ハンガリー国歌

こういうことできるからファンが増えるんだろうな。フレディのサービス精神が素晴らしいよ。ちなみにディーコンさんは出ません(しつこい)

 

 

[Queen] Is this the world we created - Live In Budapest 1986 (HD720p) - YouTube

ザワークスからこの曲。こういうアレンジもいいねぇ。(いやディーコンさん出てないからって他に書くことないのか。)

 

 

Queen - Tutti Frutti (Live In Budapest, 1986) - YouTube

ディーコンさんが出る!!!!(うるせえな)

こういうロカビリーやるのは初期から続く伝統だね。ハモりきれい。片手あげるディーコンさん決まってるね。フレディに肩のせられてもクールなディーコンさん。そこからギター、ピアノ、ドラム、かっこよすぎるな、昔ならフレディがピアノ弾いてたんだろうけど。曲に合わせてアキレス腱をのばすディーコンさん爆

 

 

John Deacon in Budapest - YouTube

オフショットディーコンさん。ふつうのおじさんの日常と言いたいけどカメラが放っておく訳がなく。撮られるのを嫌がるディーコンさんはカメラの前ではおどけてあんまり自分を見せようとしないのね。しかも取り繕い方が下手で下手でまったく不器用な人だなぁ。なるほど、こういういつも人に見られるセレブとしての生活、嫌なんだろうなあってのが伝わってくるよ。ディーコンさん自身自分のことをシャイだと言ってるのを考えると、エマちゃんとのお喋りのシーンでは「シャイな」彼女に自分を重ねてんだろうなー…あーエモが爆発しそう

 

※メモの追記として、このオフショットについてはツイッターでも呟いていたのでこちらも貼っておきます。

 

 

 

 

 

 Queen- Bohemian Rhapsody (Live In Budapest, 1986) - YouTube

いつのまにか服が変わっていた。ディーコンさんはあまり前を向かない。さっきの映像と相まって自分を見せない感じに見える。

ガリレオパートは仕方ないので観客と照明をうつすカメラ。しゃーないね。

ロックパート、クールな表情でベース弾くディーコンさんはやっぱかっこいいです。

 

 

Hammer To Fall, Queen (Live In Budapest 1986) - YouTube

また口パクしてる!!!(口パク警察出動)

なに!?なんで!?そんなことしなくても十分素敵だよ!?(関係ない)

この曲はフレディの挙動に目がいっちゃうな〜

てかディーコンさんはサポートの人と一緒に口パしてんの!?いやサポートのひとはちゃんと歌ってるんだよ!!ダメだよ!(なにが)え、まさかほんとに歌ってるの?だとしたらあの歌に向いてなさそうな声が収められてるってこと!?やばいこれはイヤホンで確認しなければ。あと相変わらず口パクなのに辛そうな顔するところは往年の伝統芸ですね(かわいい)

 

 

Queen - Live In Budapest - Crazy Little Thing Called Love (Complete) - YouTube

間髪入れずにこの曲。あんまノレてない印象。リズムがズンドコしてて停滞感漂うね(酷)

そんななかでもあくまでクールにベースプレイに勤しむディーコンさん。しかしリズム隊が近くに寄ってにこにこしてるの微笑ましいな。

 

 

Roger Taylor in Budapest - YouTube

オフショットロジャー編。何やっても華があるな。改めてベースの人のオフショットは何だったのか。車好きなロジャー、にこにこして機嫌良さそうですね。アーーーミンラーーービズマイカァーーーーー(黒歴史

 

 

Queen - Radio Ga Ga (Live In Budapest - corrected version) - YouTube

この曲そんなに好きでもないんだけど←、しかしベースライン楽しそうだね!!!

ここは少なくとも本当に歌っているかもしれないパート(前科アリ)。頑張って!!負けないで!!

つなぎの電子音、好きなんだよね。この曲のディーコンさんはあんまり激しく動かない。足踏みディーコンさん落ち着いててこれはこれで好き。印象的なベースフレーズが光るけどその割には全然ディーコンさん映らないのな!

メイ様、コーラスで拳握ってるのキュートすぎて笑っちゃった。

ライブエイドの時も思ったけどこの曲ライブでの盛り上がりがすごいな。そして真剣な顔で下向いてベース弾いてるディーコン良さしかないな。この表情が良いんだよ

 

 

Queen - We Will Rock You (Live In Budapest - corrected version) - YouTube

うわー国旗持ってくるフレディさいくぉーー裏向けたらハンガリーってのがまーじ喜ばせる術を知ってるわ

ベースの音が相変わらず良いね。てか歌に入る前のベースのディーコンさんの謎ステップ、前に見たクイーンの真面目なドキュメンタリーに急に挟み込まれて他の印象が全くないくらい度肝抜かれたんだけど、あれこのライブだったのね。そんな気はしていた。ガガの時点で嫌な予感はしていた。(嫌とか言うな)

 

 

Queen - Friends Will Be Friends (Live In Budapest, 1986) - YouTube

あーやっぱり良い曲だわ。もっともっとライブでやってほしかった。

対角線上でフレディを見るディーコンさんがまさにPVと一緒でエモくなる。

 

 

Queen Budapest live concert 1986 We Are The Champions - YouTube

ラストナンバー。最後は四人だけで。メイ様の呆然とした表情、良い。ベースも歌ってるね。ディーコンさん、声で歌えなくてもベースで歌えるから良いんだ

しかしこれは感動するね。こんなアンセム作り上げたクイーンはやはりすごい。凄いよ。

 

フレディは王冠が似合うね。ディーコンさんの背中押してあげるメイさまお兄ちゃんしゅき

ディーコンさん嬉しそうだね…………この後のことを思うと泣ける…

 

 

 

 

以上になります。

ブダペストはフレディ存命時の最後のツアーの映像ということで、色んな思いが込み上げてくるライブ映像です。ここでのオフショットの様子はメンバーそれぞれの個性を知る上でとても貴重。これを見る限り、ディーコンさんは撮られたりなんだりすることにすっかり嫌気がさしているように見えますね…彼がフレディ亡き後音楽業界から退いた、その理由の一端を垣間見れる貴重なショットだと思います。

個人的にこのライブ映像は、見るとディーコンさんのことを更に好きになること間違いなし!だと思っています。みんな是非是非見てくれよな!

John Deaconファンの見た『ボヘミアン・ラプソディ』(感想)

※タイトルの通りです。他メンバーへの言及がほとんどない代わりにただただベーシストのジョン・ディーコンさんについて語りつくしています。
※実は映画自体は現時点で三回しか見に行っておりません。記憶違いとかざらにあると思いますし「もっとこことかあっただろ」ってのも全然あると思いますが悪しからず。
※この記事をわざわざ覗いてる人にそんな方いないと思いますが、見てない人にはなんのこっちゃ分からないと思いますのでご観賞したうえで読んでいただけると幸いです。ていうか、がっつりネタバレしてます。
無駄に長いです。

 

 

 

(前置きいらない方はスクロールしてどうぞ)


去る11月の某日、私はクイーン好きの仲間たちと一緒に映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観賞した。一年前にキャストが公開された日、彼女たちと連絡を取り合って「絶対に一緒に見に行こうな」と約束していたのだ。予定の都合上公開日から数日遅れての観賞となったが、その分帰り際映画について熱く語り合った時間は何ものにも代えがたかった。そして翌月にまた日を改めて同じ三人で応援上映を見に行った。


その応援上映で私が特に感動したのは、他でもないいつもの仲間たちのディーコンさんに対する眼差しの変化である。


もう登場するなり隣で「かわいい~」と言い出した時は流石に我が耳を疑った。今のは私の幻聴か?違うか?そんなことを思っていたら車修理のシーンでも「いいわ~」と言っている。念のため言っておくが、前回帰り際に私がさりげなく「ディーコンさんかわいくなかった?(いつもだけど)」(カッコ内は心の声)と探りを入れてみた時に彼らから返ってきた返事は「あまり注目してなかった」という聞き飽きたいつもの言葉だった。そうだ、これは夢じゃない、明らかにディーコンさんへの評価が上がっている!!!


その後は二人がディーコンさんに「かわいい~」「良いキャラしてるわ~」とか言うたびに「やろ?ええやろ?」とまじお前ディーコンさんの何なんだよ何者でもねえよお前はとしか言いようのない反応をし続け、最終的に彼らにディーコンさんの“良さ”が届いたという喜びで胸がいっぱいになり最後のWe Are The Championsではうっかり半泣きになってしまった。なんだその理由、もっとマシな理由で泣けよ。いやもちろんそれだけが理由じゃないけどね、うん、うん……。

 

というわけで今日はそんなディーコンおたくの私が個人的に「燃えた!」と思ったシーンを抜き出してダラダラ箇条書きしていこうと思います。あの後もう一度一人で見に行ったのを含めても計三回しか見てないのでシーンがシナリオ通りに出てこないかもしれないんですが悪しからず。それではどうぞ~~~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※流れは一応サントラで再確認してますが間違っていたらすみません。

 

登場~クイーン2レコ風景~フレディの実家
・ 自動的に加入してたーーーーーーーー。いやもうこれは全然想定の範囲内でしたよ。だいたいディーコンさん加入時の決め手ってたしかロジャーいわく「物静かで、あと機械に強いし」とかいうもうそれベース関係ないじゃん、てかなんなら楽器より機械弄りのが期待値高そうじゃねえかよおい、まさかじゃないですけどローディーの面接と間違えて雇ってませんか?というなんとも微妙~~~な理由なのでまあお茶を濁すのも分かるよ。でもオーディションでSon and Daughterのコードだけもらって頑張って演奏についていこうとするディーコンさん見たかったなぁ~~~~DVDになったら収録されるんですかね?まあ収録されなくても買いますけど。


・ フレディがマイクぶん回して迷惑そうな表情するディーコンさんな。本物よりも表情にバリエーションがあってイイね!本家本元は笑顔ですべての感情を表現するとまで言われているから(ないです)


・ 映画ではレーベル契約もなしに戦慄の女王&クイーン2を自主制作してドサ周りしてたという設定。車を頑張ってなんとかしようとするディーコンさんの困り顔。このチャーミングさはロジャーファンのクイーン仲間をして「かわいい」と唸らせた。そしてここでディーコンさんの台詞!!!「じゃあ君がやったらどうだい?」これがね~~~まじで似てたよね。初見の時リアルに息を呑んだよ。反射的に「やばい」と言いそうになったけど耐えました。大人なので。(応援上映では「まじで似てるから」って隣のロジャーファンに熱弁したけど。)てゆーか私は公開前マゼロさんがもし見た目だけでなくディーコンさんのあのコミュ障っぽい神経質そうな話し方と歌に明らかに向いて無さそうなあの声を真似てくれたら、その時はマゼロさんの出演作品全部見るという誓いを胸に刻んでいたのでこの時点でマゼロさんへの畑上チェックは一発クリアだった。もうあとはマゼロさんに全てを委ね、不安や苦しみから解き放たれてディーコンさんをただただ愛でるのみ…。


・ 車売られる時の「高かったのに…」って言って口を尖らせるディーコンさん。私はディーコンさんのあのかわいいアヒル口が大好きなんです。だから言わせてください、もう本当にありがとうございます。今この瞬間私のソウルジェムは完全に浄化されました。


・ 七つの海のレコ風景に関しては二の腕が本物のディーコンさんよりちゃんと鍛えてそうだな…と思いながら嘗め回すようにじっくりと鑑賞。ディーコンさん本人は結構貧相な華奢な体してるからね。てか80年代はよくあんな体で露出の高い服を着ようと思ったな。せめてフレディ並みに鍛えてくれればね…見たいかは別として。


・ スティックで指揮の真似事をするディーコンさんかわゆ~~~~。そして地味にめちゃめちゃ働いてて裏バンマス感漂ってます。う~~ん、文句なしに出来る男演出…ふだん褒められることが少ないのでこうしたさりげない演出上の優遇に過敏に反応してしまう…。


・ フレディの実家でディーコンさんとメイ様はお隣同士。アルバム見てやいやい言ってて平和の権化かと。よしここにお花も植えよう。この頃の髪型なら全然イケる。


・ フレディのお誕生日おめでとう俺!ソングに指揮っぽい手ぶりつけてるディーコンさん、なんてチャーミングなんだ……(お前人の話を聞けよという心のツッコミは無視します)


・ 嬉しい知らせにオーマイガーって口ポカン顔するディーコンさんかわいいね~。

 

 

レーベル契約~テレビ出演~フレディのお部屋~ライブ
・ レーベル契約の時に緊張してる?ってたしか聞かれてたよね?違ったらごめん、もしかしたら「緊張してるディーコンさんチャーミングの極みじゃん…」という私の願望が産んだ夢かもしれないです。でもまじでそのシーンがあるなら、それはディーコンおたくを死に至らしめる劇薬だから丁重に扱ってほしいとだけ言っておく。


・ ここでの「そこにクイーンは含まれないよ」の発言含め、映画ではディーコンさんのユーモア精神がたっぷりと押し出されていてめちゃくちゃ嬉しいです。実はジョーク好きでしかもその皮肉っぽい言い回しがとってもイギリス的なディーコンさんです(ドライなユーモアと称されていたと思います)。てゆうかマゼロさん喋るたびに「ここにディーコンさんがおる……」とハチャメチャにエモい気持ちになってしまってほんと死を覚悟したわ…。それくらい似てたんですよ、凄いよ。


・ あとフレディの発言に「ふふっ…」て感じで控えめに笑う君の淑やかさよ…。映画ではフレディの言葉にふわっと可憐な笑顔を見せる場面が結構あったけどその度に心の燃料タンクがどんどん充電されていくのを感じました。


Killer QueenのMV(TOTP出演時の映像)はもう何度も何度も見ましたけどどうせやるなら例のあそこやってくれよ、fastidious and preciseのとこ。ディーコンさんの指の動きに合わせてフレディが色気たっぷりにネックをなぞるとこ。あのMVは狭いとこでみんな固まって演奏してるのがいいよね。ところでマゼロさんのベースの弾き方、なんか違和感あるんだけどおそらくあの独特の「動き」ありきになってるからだと思われ。あのディーコンさんの動きはまず第一に「弾くこと」が前提にあったうえでの付加価値としての「(奇妙な)動き」だからその微妙な差異で言い知れぬ違和感を感じるんだろうな~という素人による分析でした。


・ フレディのお部屋にて。ここでもメイ様と並びで座るディーコンさん、メイ様が喋るたびにそっち向いて、ここの動きはほんと可愛いがすぎるで…。てゆーか個人的にメイ様とディーコンさんのなんとも言えない空気感が大好きなんですよ。70年代までのメイ様のディーコンさんに対する弟を見るような微笑ましい眼差しとディーコンさんのメイ様に対するピュアな尊敬の念、そして80年代のお互いの音楽観がぶつかりあった挙句のちょっとピリピリした関係、これすごく兄弟っぽくていいなあと思うんですよね。ビートルズでいうポールとジョージって感じ…これまた好きな組み合わせだわ。


・ ライブ映像 with Fat Bottomed Girls。マイク向けられてお客さんに挨拶するディーコンさん、シャイな彼がこんなに頑張ってファンのために…と涙が出そうになっちゃうね。立ち姿のディーコンさんっぷり、しかと拝見いたしました。てかここもそうだけど他のシーンでも衣装が実際のライブの写真とかで撮られてるものをちゃんと再現してて芸が細かいね。まあライブエイドだけであれだけ凝ったつくりにしてるスタッフが細部の再現で手を抜くはずがないから当たり前と言えば当たり前だけど。


・ バスで寝るディーコンさん!!寝顔!!!!!ディーコンさんの寝姿は結構写真撮られてるけど改めてみるとやっぱかわいいな!!そう寝る時腕組んで寝るんだよね!!これはもうスタッフもお眠りディーコンさんのキュートさを知っててこの構図にしたとしか思えない。視野が激狭なファンで悪かったな。


・ あとこれはただの宣伝ですが、この初期の可愛いころのライブ映像と言えばLive At The Rainbowが最高です。シアーハートアタック発売時のライブなので有名どころはあまり演奏されないんですが、それより彼らの造形美を見て。個人的には冒頭のオフステージディーコンさんのチャーミングさ、ならびに最後アンコール終わって捌ける時にフレディがディーコンさんの肩組んで一緒に退場する様がベリーキュートですので是非ご視聴ください。あと初期曲まーじでかっこいいしステージのフレディは色っぽすぎてビビる。クイーンはライブバンドとしても最初からずっと最高だったんだなと思い知らされる良映像です。

 

 

オペラ座の夜打ち合わせ~アルバムレコーディング~シングル打ち合わせ
・ ニューアルバムの打ち合わせで難しい顔をするディーコンさん。この映画では彼本来のトレードマークである笑顔よりもこの“funny looks”のがよく見かけた気がする。でもだからこそたまにとびだすスマイル(Notバンド名)の破壊力にファンはスペランカーにならざるを得ないんですよ。


・ オペラに合わせたフレディの動きに必死で笑いを堪えるディーコン氏~~~~感情が垂れ流しになるレベルで可愛い。


・ レコーディングでのディーコンさんの部屋事情、初見で「おいおい公式がディーコンさん弄りに来たか…許せる!!!最高!!!!!」ってなったけど二回目はさすがに冷静になって「一人物置みたいなとこに押し込まれるディーコンさんはさながらシンデレラじゃん可愛いな」という感想に昇格いたしました。


・ ロジャーの車ソングの弄られっぷりw ここでもディーコンさんはイギリス人っぽく嫌味な言い回しで返していて悶絶する。こういう仲良い人に見せる姿、シニカルなユーモアセンスあるディーコンさんが見たかったんだ…ありがとう公式、映像にしてくれてありがとう。ここでフレディの発言にふわっと微笑むところもまじ天使です。そしてメイ様と二人でコーヒーマシーンはやめろ!ってハモるところも仲良し~~とにやにやします。


・ あとこれは余談だけどこの車ソングは当時ガチのマジでB面印税問題の引き金になったいわくつきソングなので映画でネタ的に消化されてるのを見て「上手い事誤魔化したなロジャー」→「でもまあそれってつまり今となってはこうしてネタにできるってことだもんなあ」→「時が解決することってあるんだなぁ…」と“思考の果てのエモ”が爆発しました。


ボヘミアンのレコーディングシーン、ここの場面は映画公開前にYoutubeのクリップで先に上がってたけど、ここでディーコンさんのhigher聞いて心臓止まるかと思ったのを覚えてます。明らかに(喋り方とか声を)似せてきていることが分かったので。その時は「努力の成果がみえる…これはひょっとすると」くらいの気持ちだったんですが実際はそれ以上でしたね。ここは他にも「テープは劣化してるよ」とかの細かい台詞も笑いを誘う。


・ パーテーション挟んで四人でコーラスしてるとこね!本当はディーコンさんは音痴歌わないメンバーでコーラスには参加してないんだけどファンとしてはこの絵面を見せてくれたことにむしろ感謝したい。ただあのガリレオの低音パート、ディーコンさんの声じゃ絶対合わないぞ!!あとちなみにSomebody To LoveとかOne VisionとかのMVではしれっとコーラス参加してますよ感出してるんだけど(無論口パク)、この時のディーコンさん口パクなのに何故か妙に辛そうに歌ってるんだよね。映画でもすごい辛そうな表情してて「そうそうそうそう!!!歌ってないのに誰より辛そうに口パクするんだよね!!!かわいいよね!!!!!」と心の中で同意のヘドバンしまくってました。


・ シングル曲打ち合わせでのディーコンさん、「まあそうっすよね…」的ちょいばつの悪そうな顔から「え?僕の曲?」とちょっとまんざらでもなさげな困り笑顔まで微妙な表情の変化が見てて飽きないね~。そして悪名高き車ソングがここで伏線回収されるのも心憎い。おそらくこの映画の一つのポリシーとしてメンバーを絶対に悪者にしない、というのが根底にあると思います。このバンド愛に溢れた姿勢は車ソング云々以外にもHot Space失敗の理由や、さらにメンバー同士の不仲の理由などを全てメンバー以外の何か(誰か)に背負わせることで成り立っているのかなと。でもだからこそ、映画はクイーンというバンドをポジティブに布教させることができたのかなと思います。すべてはバンドのため、その精神が今は引退してしまったディーコンさんに対しても見られるのは嬉しい以外の何ものでもないです。


・ 窓割られた後にお腹抱えてくすくす笑うディーコンさん、いや控えめに言って笑い方が年頃の少女のそれじゃん!!!!こんな愛くるしい乙女がこの世に存在していたんですよ皆さん、速やかに保護を願います。


ボヘミアンのロックパートで急に髪の毛がショートヘアになるディーコンさん。ロジャーファンのクイーン仲間いわく、「髪が短くなってからますます似てる」とのこと。私個人としてはこの髪型に関しては本物の“良さ”を強く感じちゃうな〜〜。というのもですね、私この髪型まじで好きなんですよ……ディーコンさんの歴代髪型の中で一番好き。なんかすごくあどけなくないですか??少年?少年なの?お菓子あげるからこっちおいで??(逮捕案件)


・ ライブ映像 with Now I’m Here。ショートヘアディーコンさんだけどあまり映らなくて悲しい…まあ実際のライブ映像に比べたら全然恵まれてるけどな!!本当に色んな映像見てるとディーコンさんがメインで映ることがめちゃくちゃ少なくて、基本的に「見切れディーコンを探せ!」ゲームになってるからその点この映画はめちゃくちゃ良心的だと思います…。

 

 

フレディ宅パーティ~We Will Rock You制作風景・ライブ~地獄へ道づれ
・ パーティ用の赤い襟付きのジャケットめっちゃおしゃれ~~~~かわいい~~~しかも私好みのショートヘア~~~~~~~今こそ大西洋の方角に向かって敬礼しよう。てかこんなジャケット持ってたっけ?手持ちでそれっぽいのがないのでどなたか教えてほしい…。「衣装まで再現して~」と言った矢先になんですが正直に言うとこれの他にも「分からん…これは…こんな服の写真あったか…?」ってのいくつかあったのでDVD発売されたらまじでちゃんと確認作業したい…手持ちの写真が少なすぎるってのも問題なんだろうけど。


・ つまらないものの代表として名前を出されるディーコンさん哀れ…大丈夫!面白いよ!フレディの好きなタイプのジョークじゃなかったってだけだよ!多分!


・ てゆうかパーティの場面だけどディーコンさん何時会場出ていきました!?私が見落としてただけなのかな?それともメイ様とロジャーいなくなって一人居心地悪そうにもじもじしてたのかな?見せろやそのシーン!!!!(ない)


We Will Rock Youレコーディング前、奥さんとお話しするディーコンさんんんんんんんん、Yes!理想の家庭人!!(ガッツポーズ)こんなこというと冷めるけどここにいる恋人たちの中で最後までカップルで居続けたのはヴェロニカさんただ一人だからな…(遠い目)


・ ここでも皮肉っぽい言い回しのディーコンさん。ロジャーへの目配せのシーンでは念力でロジャーと入れ替われないか真剣に模索しました(コンマ1秒)。あのいたずらっぽい目つきで見つめられるロジャーはあまりに恵まれすぎている。一刻も早く全てのディーコンファンにあの駄車曲の印税を均等に分配しろ(もう忘れてやれ)


・ お手々ぱちぱち足どんどんするディーコンさんの動き!結構ノリノリなのがかわいいね!さすがディスコでノリノリダンスしてただけあるよね!飽き足らずステージでも変な踊りしてましたけど!


・ で、そのステージの光景。The Gameのサラリーマン風衣装だ~ディーコンさんは服装と髪型で時期が分かりやすいからありがたいね~。ここでのマゼロさんは足と手、両方のリズムの取り方が完璧にディーコナイズされてます(Keep Yourself AliveのMV参照)。ここは流石に「このディーコンさんまじでディーコンさん~~~~!!!」と仲間に指さしてお伝えした@応援上映


・ ライブ終りのバックステージに一番乗りするディーコンさん(らしすぎるだろ)フレディ辛そうですが私も後ろでメンバーたちが何を話してるのかが非常に気になって気になって辛いです。


・ 地獄へ道づれ(Another One Bites The Dust)の場面ですが、ここは本当に良かったですね…。何が良かったって、ディーコンさんの曲作りがまさしく「フレディとの共同作業」だったということを確かめることができた点です。ディーコンさんは自分が歌えない分、曲作りは物凄く時間をかけて、譜面もかなり作り込んでいたみたいですが、そんな声を持たない彼にとってフレディは自分の脳内に存在する理想の「音」を声で表現してレコードにおこしてくれる何者にも代えがたい存在だったことでしょう。この場面ではフレディの助けも借りながら二人三脚で曲作りに励んでいる様子がうかがえますが、この曲でもそうだということはHot Space以後の共作曲なんかももちろんそうだったんだろうなと。後年ディーコンさんがFriends Will Be Friendsを作曲した時はフレディの功績を認めさせたいと言って彼の名前をクレジットさせたとのことですが、そうした点を踏まえてもディーコンさん作曲曲におけるふたりの相互協力的関係は確かに存在したんだろうなと思ってました。それを映画のあの作曲シーンで見ることが出来て良かった。「そこはアドリブで」とか、いいよね…。


・ あとここでの「君が酔っぱらっていようが構わない。歌ってくれさえすればいい。」的な台詞、フレディとディーコンさんの関係を端的に表した台詞でいいな~と思います。プライベートでの関わりはほとんどなかった二人。でも音楽というビジネスにおいては何度もタッグを組み、共同作業だってしてきた。そんな二人のビジネスパートナーとしての熱いやり取り、これは池井戸潤のドラマにも匹敵しますよ!!(言いすぎ)


・ てかここのディーコンさんは映画至上一番キリッとしててかっこいい。基本かわゆ~なディーコンさんだけどこれには参ったよ、ギャップ萌えです。惚れ直しました。

 

 

記者会見〜Break Free〜ソロ活動宣言〜出戻り篇
・ 記者会見はHot Spaceの新作発表なのか!!まあこんな風に繋ぎとしてでしか出てこないんですけど…(察しろ)いいよ、スナイデルでフィーチャーされたから扱いについては文句言わないよ、Kind Of Magicもね…。でも実際映画でHot Spaceがフィーチャーされてたらディーコンさんどんな風に描かれたのか想像するだに熱出そうだし、ここはロジャーのお車大好きっこソングと合わせて不問で!!(都合がいい)あ、ホット・スペースの頃のセクシ~なディーコンさんを全然拝めなかったのは恨みますけど…(恨むのかよ)


・ ここの記者会見のディーコンさん、基本的に空気読みつつ困惑しながらにこにこしててそんな様子も良き哉なんですが、それに加えて記者?とフレディの言ったillって単語を受けての「僕こないだ病気ってか風邪ひいたんだけど」って台詞の機転を利かせた助け舟感がナイスジョーク~~~~って感じがして好きです。こんなクレヴァーなディーコンさんをつまらない奴の権化みたく言ったのは誰だよフレディお前か!(根に持つな)


・ あと記者会見の時の服装はライブ衣装かな?確かモントリオールでこんなん着てた気がする…なんか革ジャンがキマっててめっちゃかっこいいのにこれを途中で(てか早い段階で)脱いじゃってあとはただの真っ青な人間がそこにいた…心なしか全身ブルーになってからはカメラに抜かれる回数が減ったイメージが…そんなライブです(どんなライブだ)


(I Want To) Break FreeのMVの女装ディーコンさん(お婆ちゃんだけど)、MV映像より白塗りが激しい気がするのは気のせいですか…?てか撮影の合間にふざけてじゃれるメンバーくそ可愛いな。そこばっかり注目してたせいかこのシーンのフレディの印象が妙に薄い(本末転倒)


・ そしてMV発禁へ…。フレディが「曲作ったのお前だろ」みたいなことディーコンさんに言ってたけど確かに本人もインタビューで「フレディがどうとか言われてるけどあれは僕の曲だからね?」みたいなこと言ってます…って現役時代から影が薄いのな…哀しみ。そしてここの衣装、そこはかとなく見たことがあるしおそらく何かしらにおいてこの組み合わせで出てたんだと思いますが手元の写真からは探せなかった…しかしこのなんか小汚い薄汚れた加齢臭しそうな茶色いジャケットの写真は見つかりました。中のチェックシャツっぽい写真も見つかったんだけど柄がどうだったか定かじゃないな…組み合わせがピッタリの写真を見つけた方いらっしゃいましたら是非お声がけください(他力本願)


・ フレディのソロとメンバーの対立。ここでの会話から見ても、この映画のディーコンさんは不動の男として描かれているなという印象です。ジョークを交えつつ熱さは表に出さず常に冷静に、でも言うときは言う、というのがメイ様とロジャーの“ディーキー”評ということでよろしいですか?まあディーコンさんが不動の男だというのは色んな人から言われていた気がしますので他者から見た彼のイメージは総じてこんな感じだったんでしょう。しかしそう考えるとこの映画のかわいいかわいいディーコンさんの仕草・表情はメイ様とロジャーのフィルターを通したディーコンさんなのか……おっといかんいかん、つい涎が。


・ フレディからの評価が散々なディーコンさん不憫…。電子工学は名誉学位取得とかいう超優秀者のソレだし、だいたいメイ様のアンプ作ったのもディーコンさんなのに!!せめて「売れないバンドの楽器修理屋がお似合いだ」くらい言ってあげて!ここで怒らないディーコンさんは本当に人間の鑑だね…こんな穏やかそうなディーコンさんですが彼は自分のことを「神経質」だと言ってるんですよ…沼を感じるでしょ?感じちゃうよね~~本人が沈黙守ってる分考察し放題だよね~~~。


・ ここは何気にディーコンさんの首の後ろとか口元とか触る癖が思う存分堪能できる神シーンでもありました。そして一瞬だけ触れられる俺たちの「永遠の翼(Spread Your Wings)」……いやこんだけかい!!!これについてはちょっと一言物申したいんですが、だいたい映画公開前の早い段階では「映画に使われる曲は32曲!」とか言ってたのが「やっぱ28曲で」ってなってまあ編集とかでカットされたんだろうなそれでも28曲て凄いなとか思ってたら、おい!!題名だけとかフレーズだけとかそんなん聞いてないぞ!!しかもクイーン関係ない曲も含めるのかよ!!俺たちの「マイ・ベスト・フレンド(You’re My Best Friend)」と「永遠の翼」はぶっちゃけほぼ「ナレ死」扱いじゃないか!!しかも前者はフレディじゃない人が歌うし…まあ「ブレークフリー」と「地獄へ道づれ」あったからいいけど…。


・ フレディが「バンドのみんなに謝りたいんだよ~~~」ってなったところでメンバー登場。しかしディーコンさん、ここでまさかのデニム・オン・デニム……………。調べてみたらいいとも出演時に同じ衣装してました。すっごい!忠実!スタッフの気概がひしひしと伝わってくるよ!!でもさ、でもさぁ………なにも服装センスまで完コピしなくても良かったんじゃないかなあ!?あの時期にディーコンさんが「まとも」な格好していたらどれくらい見栄えがマシ良くなったのか見たかったというのにっ…!いやあの、だ、大丈夫、ディーコンさん似合ってるよ、君が服着てればファンにとっちゃなんだってかわいいから……なんだって…。


・ 色んな決まり事をフレディに伝える役目はディーコンさんなのね。なんかこことかレコーディング風景の随所で存在感見せたりするところが、実際にはバンドのフィナンシャル面も担っていたキレ者である彼の面目躍如という感じがして嬉しい(ディーコンさん本人の介入がない分自由に動かしやすかったというのもあるかもしれないけど)。上にも挙げたけどFriends Will Be Friendsでフレディの貢献を主張したディーコンさんの心の奥では印税問題に対して思うところがあったと思います。そんな彼がフレディにバンドにおける約束を言い渡すというのは痺れる。ちなみにここでのバンドの「決めごと」は実際にはライブエイドの後、フレディ存命時に発売された最後から二枚目のアルバム『ミラクル(The Miracle)』制作時に取り決められ、それもフレディの先導によって進められたとのこと。そしてこの『ミラクル』制作の際にフレディは自らの病気をメンバーに伝えたと言われています。こうしてみると映画は年代こそ色々と入れ替えてますが、フレディの病気をトリガーにしてバンドにおいて急速に一致団結の空気が出来たという流れ自体は実は史実と近いものがあるのかなと思います。


・ この辺りのメンバーの会話はなかなか仲間感があっていいですね。まあ実際にはブライアンもロジャーもソロ活動してたんだけど…あ、推しのディーコンさんはソロプロジェクトで大コケして「やっぱり堅実にコツコツが一番だね…」と日和って諦めた模様です(号泣)てかディーコンさんはこれ以外にも「僕だってやれば出来るんだぞ!」とちょっと色気を出すと基本上手くいかなかったみたいです…ほんと不憫…泣いちゃう…。

 

 

リハーサル~本番前~ライブエイド~エンディング
・ リハのタンクトップディーコンさん最高―――――!!!!!これ実際の映像でもこのタンクトップ姿なんですよ。ああ初めて見た時の抗いようのない興奮が今蘇る…!ほんとディーコンさんはフレディがムキムキシンプルスタイルのファッションに移行していったと同じ頃にガリガリヘンテコスタイルへと変貌を遂げてしまったのでその意味の分からない奇抜なセンスの一端が垣間見れて良かったです。


・ フレディの喉の調子を察してリハを切り上げようとするディーコンさん、出来る男演出最高ですわ…。基本的にメイ様やロジャーの中で彼は「出来る弟」という印象だったということでよろしいですか?いいですね!!!はい!!!!!!


・ フレディのエイズ告白の時のディーコンさんの反応、これは一緒に見に行った友達が初見時に「あそこは悔しいけどぐっときた」と言っていました。悔しいけどは余計だぞ、と思いつつ私も同じ思いです。私があの場面に価値を見出すのは、あれが史実通りの時系列であれば「ありえない」場面でありながら、それでも彼らの三者三様の反応に「本当にこんな風な反応をしたのかもしれない」と思わせるだけの説得力があったからです。ディーコンさんの反応について特記すると、あそこでまず目線を彷徨わせたところに注目したいです。それまで「不動の男」として描かれ、どんな場面でもイギリス人らしくアイロニーを絶やさず冷静でありつづけた彼が、あそこで目を泳がせ明らかに動揺した様子を見せた。これまでの描かれ方が伏線のように効いてくる場面であり、同時にディーコンさんのフレディへの思いも痛いほど伝わってくる、とても胸を突かれる場面です。演じたマゼロさんの演技力の賜物。


・ また、あの場面でディーコンさんはフレディの言葉を聞いて涙を流しています。上に挙げた動揺した様子とこの涙で、映画を見るまでディーコンさんのことを何も知らなかった観客もフレディ亡き後彼が音楽界から事実上引退したことをすんなり受け入れるのではないでしょうか。だからこそ、この場面は大きかった。ディーコンさんは映画公開前まで海外の掲示板などを中心にとかくバッシングされやすい存在でした。それは今なお現役で働いているメイ様やロジャーの傍ら、早々に引退し働いてもいないのに悠々自適な印税生活をしているという現状からの批判があったのだと思います。しかしここで公式がフレディの病気や死によってディーコンさんの受けたショックの大きさを表したことで、ディーコンさんが引退前に「続ける理由はない」「フレディ以上のボーカルはいない」と明言した事実が活きてくる。なのであそこは映画的にも、そしてディーコンさんファンにとっても、とても大きな意義を持ったシーンです。


・ 上の場面について、私の個人的な感想になりますがフレディがエイズを告白した時のメンバーの反応というのはずっと気になっていました。だから個人的には時系列云々よりもそこに(演出はあるとはいえ)公式から一つの見解を提示されたことを嬉しく思います。三人の反応が「らしい」感じだしさぁ…。あと全然関係ないですけどあそこのフレディの台詞で「同情なんかいらない」的なのがあったと思いますがあれはボヘミアン・ラプソディの歌詞と呼応してるんですかね?てかまさかあそこの台詞全部がクイーン曲の歌詞と連動していたりしますか?たくさん見た方に教えていただきたい…。


・ そしてこんな場面でもウェンブリーの屋根に関してシニカルにツッコミを入れるディーコンさんがすごくこの映画におけるディーコンさんのまんまな感じがして、ああやっぱりそれでも彼は不動の人なんだなあと思ったりしました。そしてこれが公式のディーコンさん評なんだと。ずっとそのままの君でいてほしかった……。


・ ライブエイド本番前、バスでカップ片手になんとも辛そうな表情をしているディーコンさん。これは考察がはかどりますね…。緊張しているだけなのか、メアリーとフレディのことで何かしら思うところがあったのか。それとも…。関係あるかは分かりませんが、ディーコンさんはThe Show Must Go Onも収録されているフレディ存命時の最後のアルバムInnuendoでの貢献度は低かったと言われています。The Miracleではフレディとの共作含めいくつかの曲でディーコンさんが関わったらしいことが明言されていますが、Innuendoではディーコンさん提供曲は使われていないというのが定説です。私はディーコンさんが幼いころに父親を亡くしていることや、恐怖の対象を尋ねられた時に病気と死を上げていることからもフレディの衰弱と死は父親の記憶とダブる部分があったのではと考えています。だからこそ、フレディの死の間際は無意識にトラウマ的事象の再現のような状況から逃れようとしてたんじゃないかと思っているんです。そうして考えた時、ここでのディーコンさんの苦しそうな表情は多面的な意味を帯びてくるのではないかと考えています。ってこじつけすぎか!!


・ 本番直前、ステージに出る前のディーコンさんの動きがすでにディーコン式リズムダンス(足)を踏襲していて最高でした。この時点であのリズムの準備をしているのかと。


・ クライマックスのライブエイド。いや、最高でしたね…。私は映画に合わせて今年の8月に実家に置いてあるライブエイドのDVDを見直したりなんだりしてたんですが、なんでこっちに持って帰ってこなかったんだろうと強く後悔しました。再現度が凄すぎて比較欲がすごく湧く!!いや、正直言ってしまいますと、映画公開前、最後の21分がおそらくライブエイド再現だろうなと分かった時点では「いやだったら本物見るわw」みたいな超冷笑的な自分がいたわけですよ。でも、やっぱりそんな意見は公式だって百も承知なわけです。やるなら徹底的にやらないとファンは許さないだろうと。いや、やってくれましたね。初見の時、まず感動したのがディーコンさんのお辞儀でした。あの時点で「あ、これはすごい」と直感的に察しました。というのもあの冒頭のお辞儀は私が8月にライブエイドを見た時に特に印象に残っていた(というか、正確に言うと大萌えいたした)シーンだったので、そこがあっただけで「これは相当忠実に守ってきてんな」と。フレディがカメラに向かっておふざけするシーンとか、Radio Ga Gaのイントロのフレディの動きとか、三か月前の薄れつつある記憶の中でも輝きを放っていたシーン群は勿論きちんと再現されていました。そして何より感動したのが、映画館という最高の音響設備を備えた場所で、あんな臨場感たっぷりに撮影されたライブエイドの再現を見て、クイーンを生で見たことのない私はまさに「ライブに行った感覚」を味わうことが出来ました。多くの感想ツイで「あそこさえ見れれば元以上は確実に取れる」的な表現を見かけましたが、本当にその通り。もうあれはクイーンのライブです。本来ならおよそ万は飛ぶであろう伝説の音楽ライブを1800円で観賞できている奇跡なのです。ああ最後のWe Are The Championの喪失感たるや…。


・ すみません、感動のあまり普通に感想を書いてしまいましたがディーコンファン的ポイントとしては、まず実際の映像よりもディーコンさんが多く映るという点を挙げたいですね!フレディがカメラマンといちゃつく(?)シーンさんでは後ろの方で見切れディーコンしてて「フレディふざけてないでディーコンさん映して!!!」と顔を覆いたくなったりしたんですが、映画では何度もアップで抜かれるので嬉しい悲鳴です。もうこの時点で実際の映像より勝っていると言っても過言ではない(え)あと実際の映像でディーコンさんがカメラに見切れ…抜かれるシーンを徹底的に洗い直しているとしか思えない本物顔負けの動き…。Hammer To Fallの仁王立ち腰ふりディーコンダンスではフレディ追悼ライブなんかも思い出して変な涙腺スイッチが入ったり(お前だけだ)、あと実際の映像ではボヘミアンのママー♪パートで既にめちゃくちゃノリノリだったと記憶しているんですが映画だと思ったほどノリノリでもなくて「あれ私の記憶違いか…?」とか思ったり(まだ確認できていない)、曲終りはロジャーのそばに行くいつものムーブが見れたり、そして!最初と最後のお辞儀がまーーーーーーーーじで可愛かったです。最後ちょっとぴょこぴょこ弾みながら整列してるの見て自然と菩薩みたいな表情になってしまう…I really loooooooove the things that you do~~~~~~~♪(ディーコンさんの一挙手一投足まーーーーーーーーーじで愛してる~~~~~~)


・ あと、これ触れるべきか迷ったんですが…あの服装ですね…。マゼロ氏をして「これは彼が本当に着てたんだからね」と言わしめ、スタッフに特注を作らせたあの服…。まああの、一張羅としては流石にどうかしているとしか思えないっすわ…。ディーコンさんにとっては「正味20分のチャリティーギグだしこんなんでいっかなー♪」感覚だったんだろうか…てかそうであってくれ!!じゃなかったらあんな普段着みたいな恰好で出てきた理由が説明できないから!それにその頃の君の一張羅といえば謎の露出系衣装だし(正直あれもどうかと思うけど)やっぱ違うよな!?あれが一張羅ってことはないよな!?あんな漫画のコマみたいな柄のシャツでライブに出(長くなるので切ります)


・ エンディングで流れるDon’t Stop Me Now。まさかのメイ様途中までおらん曲チョイスと思いきや新録版ということでのっけからギター出張ってました。そしてカラオケで親の顔程見たMV!!こういうサービスは本当に嬉しい。しかもこのMVはディーコンさんが比較的よくアップで抜かれるからそういう点でも超GJ。くっそどアップでしれっとこなれた口パクコーラスをこなすディーコンさん、もう愛おしいよ!!頭がいがぐりみたいだとかベストの柄が趣味悪いよく分からないとかそんなんはどうでもいい!やっぱり本物ディーコンさんのタレ目かわいい~~~~最高すぎる~~~~~そりゃ本物の魅力には抗えないよね…。そしてただ一人、映画との違いがほとんど分からない男ことブライアン・メイ。このMVのギターソロのにこっ、が大大大好きなんですよ。ほんと70年代のメイ様素敵すぎる。


・ 最後はThe Show Must Go Onで締め。この曲、CDだと冒頭とかのちょっと印象的に動くところ以外ベースが全然聞こえないという印象だったんですが(あと何故か最後の最後に音が薄くなって急に「ブゥーン」って聞こえだすところくらい?)、映画版はイコライザ弄ってるのかな?それとも映画館の音響の賜物かな?とにかくディーコンさんのベースが今まで聴いた中で一番よく聞こえました。この曲のサビ、私の中でずっとディーコンさんコード弾きでサボってる疑惑というのがあったんですが(酷い)、映画館で聞いてちゃんと工夫していたことを思い知りました。今まで疑っててごめん、ディーコンさん。しかしこうなると俄然サントラ版がどうなってるか確認したくなるというもの。映画用に特別にリマスターしてるとかなら…考えちゃう。(どうも上にリンクしたYouTubeの説明によれば2011年にリマスターしていたようです。まじか。ベース聞こえやすくなってるのかな。そっち欲しいな)

 

 

 

 


以上になります。
もう何度も何度も見てきた人からは「もっとあるだろ!」とお叱りを受けるかもしれませんが、現時点ではこれが精いっぱいです。追加で色々書きたいことがあれば、それはDVD購入後、実家から持ち寄ったライブエイドを片手にじっくり腰を据えて記していきたいと思います。とりあえず、日本でのライブシーンとかフレディのクイーンロゴ考案シーンとか他にも予告編にあったけど本編で削除されたシーンとか含めた未公開シーン特集は絶対に入れてくださいお願いします!!

 

  

【今回のエントリーを書くにあたって凄く参照したサイト】

John Deacon, the BASSMAN. (Japanese version)

こちらのサイトにはディーコンさんを好きになったばかりの頃からずっとお世話になりっぱなしです。今回このエントリーを書くにあたりいいともの衣装チェックをはじめバンドやディーコンさん自身のバックグラウンド、過去の発言・インタビューチェックなど様々な事柄において大変参考にさせていただきました。今回のエントリーで言及したエピソードの多くはこちらのサイトにまとめてある記事などに詳細が記されていますので興味のある方は是非サイトを隅々まで読了してみて下さい。

このサイトのおかげでディーコンさんのことが更に好きになったというディーコンファンは多いと思いますし、何かと誤解されがちなディーコンさんへの認識を多少なりとも肯定的なものにするという点でも多大なる貢献をしていると思います。素敵なサイトを作っていただき本当に感謝しかないです。ありがとうございます。

11/20 クドカン版『ロミオとジュリエット』(雑感 : 超「現代的」な主人公解釈)

クドカン版『ロミオとジュリエット』を見に行きました。下北沢の本多劇場はかつてラーメンズが愛用していた箱ということで勝手に聖地巡礼のような気持ちで入場。U25チケットを引き換えたらまさかの最前列でびっくり。これまでこの手のチケットでは二階席or近いけど凄い見にくい席ばかり当たってきた身なので騙されてるんじゃないかと思いながら着席する。一番端ではあったけど目の前で俳優さんの表情が見れて凄く良い経験をさせてもらいました。

 

 

 

 

では、観劇の感想になります。

 

 

 

 

観終わって色々考えて、今はこれこそが真に現代的なロミジュリ解釈なんじゃないかと思っています。

といっても、おそらく観劇した人には「現代的」と言われると首をかしげると思われます。登場人物は皆、当時の俳優と同じような「エリザベス朝の衣装」を身に纏って演じます。身分の高い役柄の人はそれ相応のかつらを被っていたりもします。そうした点では「現代的」とは言えないかもしれません。

 

ただ、私が興味を持ったのは主人公たちの振る舞いにあります。

主人公の三宅ロミオ。三宅さんのお年を考えると「ロミオ役?そのお父さん役じゃなくて?」と言いたくもなります。にもかかわらず、舞台の上のロミオはとても若く見えました。

いや、正確に言うととても「幼く」見えました。

ジュリエットも同様です。バルコニーシーンの二人の戯れはどう見ても少年と少女のようにしか見えませんでした。そんな二人がシェイクスピア特有のくどくどとした台詞を喋る、正直言って妙な違和感は拭い去れませんでした。

 

 

でも考えてみてください。そもそもシェイクスピアが設定した彼らの年齢はロミオが16、ジュリエットは13です。そのくらいの歳の子どもだと考えると、クドカン版のロミオとジュリエットの幼さはあながち間違いとは言えないのです。そこまで考えて、そうかと合点がいきました。この舞台の二人は、「現代の青少年」なのです。だから、どこか不恰好なのです。

 

 

今の若者と昔の若者とでは、彼らの育つ社会の状況が全く異なっています。シェイクスピア存命当時のイギリスでは(劇中でパリスが仰っているように)10代で結婚、妊娠もざらにありました。そもそも平均寿命も今とは比べものにならないほど若く、その分若者が大人になるのも今よりずっと早かったと思われます。

 

 

しかし1613と言われれば今の日本では高校生と中学生です。もちろん、その実態はシェイクスピアの生きた時代における認識とはかなり異なっています。舞台の上でロミオは「引きこもり」と揶揄され、何かにつけてうじうじと弱音を吐き、友人や神父には泣きつき、時には駄々をこねるような仕草も見せます。他にもお弁当と水筒を持ってキャピレット家の舞踏会へ参上するなど、行動の幼さがことさらに強調されているような印象を受けました(三宅さんを「若く、より若く」見せるための演出なのかもしれませんが、少々やりすぎな気もします笑) しかし考えてみれば今の日本の高校生そして中学生で、テキスト上のロミオ、ジュリエットのような振る舞いができる人がいるでしょうか?前半(二人の結婚まで)の喜劇パートのロミオの軽薄さ、そして恋の情熱に焦がれる様は微笑ましいくらい若々しいですが、それでも現代の認識で見るとせいぜい18, 19くらいかなぁという感じですし、後半のロミオの雰囲気はハムレット(公式年齢30歳)的風格すら感じます。対するジュリエットは年上のロミオより更に大人びています。最後一人で決断して事を起こす凛とした姿には少女の面影を感じさせません。

 

 

そう、だから現代に『ロミオとジュリエット』を「年齢通り」演出することは無理があるのです。なぜなら現代の目で見ると、テキスト上のキャラクターの精神年齢は数字よりずっとずっと上に見えるから。パンフレットでジュリエット役の人が「何故ジュリエットがロミオに惹かれたのか分からない」と言っていましたが、実際今の日本で1613の少年少女がああいう形で出会ってもきっと惹かれることはないと思います。それは文化や社会的背景の違いなどさまざまな要因がありますが、とにかく仮にこの作品の舞台設定が現代の日本であった場合、この二人はおそらく出会わなかっただろうし悲劇が起きることもなかっただろうと思われます。

 

 

そう考えると、『ロミオとジュリエット』においてなにかと高名な俳優や大御所など「テキストで明示される年齢とはかけ離れた俳優」が二人を演じる問題も仕方ないのかなという気がします。現代におけるロミジュリは演じる俳優にある程度の年齢がないとリアリティが希薄になってしまう。それだけ彼ら二人の精神的成熟度が現代の同年代とは異なっているということですね。

 

 

しかしそう考えると改めて齢50にして「16の未成熟な青少年」を演じた三宅さんやばいな。あのロミオは未成熟すぎてかわいかったけど、あれは青年というより少年だよな~。