As I Like It

「好きなことを好きなだけ」をモットーに好きなものについて好き勝手書くブログ。

2017年観劇の記録 後半

後半です。本当は先日見に行ったミュージカルの感想でも書こうと思ったけど諸々の事情によりカット。


①8/25(金)KUNIO『夏の夜の夢』


とはいえ急に飛び出したフリースタイルダンジョンには流石にビックリしたけど笑 まあKUNIOは歌舞伎にもヒップホップ取り入れるグループなので…ということで。
夏の夜の夢は「シェイクスピアって面白いじゃん!」と感じたきっかけの作品なのでそれをこんな楽しい演出で見ることが出来てとても良かった。特に職人一座の芝居シーンは「はいこれ面白いシーンですよー!」と予め告知されているというかなりのハードル高めな場面なんですが、「面白くならなきゃいけない」というプレッシャーを易々とはね除けてくれた!今まで戯曲でも読んだし、映像でも何度も見たシーンですがこの舞台版が一番笑えたな。

美術が最高だった。非日常の中の日常、不自然に真っ白な世界にしれっと溶け込む日用品。

クインスは本当に可愛かった笑


②9/28、10/5@東京芸術劇場人間風車

ホラーが大の苦手な私ですが、こういう人の悪意をえぐり出すような怖さは大好物。難なく最後まで見れました。
推しについては最初のエントリーで思う存分語ったので良いとして笑、気になったのはサムの最後。
私はネタバレしたくなかったので前のバージョンを見てはいないのですが、サムが落ちて物語が終わる…となるとそれはぶっちゃけ今回のバージョンよりもはるかに後味が悪そうな気がしたな。『フランケンシュタイン』の怪物とか思い出してしまった。だから、平川が自ら産み出した怪物を結局自らの手で完全に葬ることに失敗する、という今回の終わり方には自分の中に暗い歓びを感じた。「こんなはずじゃなかったのに」って、自らのエゴによって最後には自ら災難を被るってのは人類の歴史を見てもあまりに普遍的。けれど、人間は学ぼうとしない。平川が「あれで一件落着」と考えてきれいな思い出で終わらせてしまう最後じゃなくて良かった。


③10/26@東京芸術劇場『リチャード三世』

劇ぴあから流れてきた写真の美しさに目を奪われて行くことに。リチャード三世という元々魅力的なヒール役を佐々木蔵之介が演じる。そりゃ見に行かない手はない。
で、観劇したわけだけどまず特筆したいのは舞台美術。大掛かりで凝っていてこれのためだけでも見に行く価値があった。演出は(リチャード三世を既に知っている人にとっては)めちゃくちゃ恣意的。容易に想像可能。戯画化されていると言っても良し。王になるまでの過程が丁寧に描かれていた分、その後没落していくまでの描き方がやや雑な印象を受けた。権力にしがみついたらあとは早急に転がり落ちていく一方だ、と言いたかったのかもしれないが。
リチャードの死に方は賛否両論ありそうだが、シェイクスピア(だと私は考えている)が引導を渡すという構図はメタ的、かつ不条理で面白いと思った。作品における「神」は結局のところ作者なのだから。

④10/27フェスティバルトーキョー『パレスチナ・イヤーゼロ』

パレスチナを舞台にしたイスラエル演出家の舞台。イスラエルではあわや上演中止というところまで追い込まれた、とのこと。実際に見てみると、ストレートなイスラエルパレスチナ政策批判で驚いた。なるほど、分からないように届ける、ではなく、万民に「分かる」ように届ける必要があるのだ、パレスチナの悲惨さは。ドキュメンタリー的作りで、挟み込まれる再現ドラマ風の芝居、淡々と積み上げられていく衝撃的な事実と瓦礫の山。一時間という短い「演劇」であったが、観劇後に残った重く苦い後味は普段見る演劇の比ではなかった。恐ろしいのは、これが今現在もパレスチナという地域でなおも繰り返されているという現実である。


⑤11/3@東京芸術劇場『オセロー』


ツイートしなかった部分でほんのりと思ったことは、イアーゴーが無意識のうちにオセローに承認されたいという欲求を抱いているのではないかということ。承認されたい、と思いつつもオセローが「ムーア」であるという差別意識でその欲求が押さえつけられている。あり得ない、そんなはすがない、という自らの差別意識と憧憬の狭間で自己矛盾に陥っているのではないか、など。