2017年観劇の記録 後半
後半です。本当は先日見に行ったミュージカルの感想でも書こうと思ったけど諸々の事情によりカット。
①8/25(金)KUNIO『夏の夜の夢』
KUNIOの『夏の夜の夢』観劇、いやー、楽しかった!夏の夜の夢って戯曲は「シェイクスピアって全然古くないじゃん!面白いじゃん!」って思ったきっかけの作品だからそれを今回舞台で初めて見れて良かった。現代演出がいわかんなくことごとくハマってたのに驚いた。見て良かったな。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) August 25, 2017
公爵夫妻と妖精夫婦、職人たちと女王に仕える妖精がダブリングしてたのは記しておきたい。あとパックも。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) August 25, 2017
違和感があったとすれば、ヒポリタの態度の軟化に説明がなかったことくらいかな。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) August 25, 2017
とはいえ急に飛び出したフリースタイルダンジョンには流石にビックリしたけど笑 まあKUNIOは歌舞伎にもヒップホップ取り入れるグループなので…ということで。
夏の夜の夢は「シェイクスピアって面白いじゃん!」と感じたきっかけの作品なのでそれをこんな楽しい演出で見ることが出来てとても良かった。特に職人一座の芝居シーンは「はいこれ面白いシーンですよー!」と予め告知されているというかなりのハードル高めな場面なんですが、「面白くならなきゃいけない」というプレッシャーを易々とはね除けてくれた!今まで戯曲でも読んだし、映像でも何度も見たシーンですがこの舞台版が一番笑えたな。
昨日のKUNIOの公演、まず会場に入った瞬間圧倒されたな、舞台美術に。思わず「すごっ…」って呟いてしまうくらい綺麗だった。あれだけで異世界、日常から解き放たれた別世界に連れて行ってくれた。今度はTempestとかやってほしい~。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) August 26, 2017
美術が最高だった。非日常の中の日常、不自然に真っ白な世界にしれっと溶け込む日用品。
登場人物について言うとまずハーミア可愛すぎ。ヘレナが卑屈になるのも分かるわ…。あと職人たちが皆若くて愛嬌があって愛らしかった…ピーター・クインスとかヘタレなおじさん的イメージだったのに何あのキュートさ…。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) August 26, 2017
クインスは本当に可愛かった笑
ホラーが大の苦手な私ですが、こういう人の悪意をえぐり出すような怖さは大好物。難なく最後まで見れました。
推しについては最初のエントリーで思う存分語ったので良いとして笑、気になったのはサムの最後。
私はネタバレしたくなかったので前のバージョンを見てはいないのですが、サムが落ちて物語が終わる…となるとそれはぶっちゃけ今回のバージョンよりもはるかに後味が悪そうな気がしたな。『フランケンシュタイン』の怪物とか思い出してしまった。だから、平川が自ら産み出した怪物を結局自らの手で完全に葬ることに失敗する、という今回の終わり方には自分の中に暗い歓びを感じた。「こんなはずじゃなかったのに」って、自らのエゴによって最後には自ら災難を被るってのは人類の歴史を見てもあまりに普遍的。けれど、人間は学ぼうとしない。平川が「あれで一件落着」と考えてきれいな思い出で終わらせてしまう最後じゃなくて良かった。
③10/26@東京芸術劇場『リチャード三世』
劇ぴあから流れてきた写真の美しさに目を奪われて行くことに。リチャード三世という元々魅力的なヒール役を佐々木蔵之介が演じる。そりゃ見に行かない手はない。
で、観劇したわけだけどまず特筆したいのは舞台美術。大掛かりで凝っていてこれのためだけでも見に行く価値があった。演出は(リチャード三世を既に知っている人にとっては)めちゃくちゃ恣意的。容易に想像可能。戯画化されていると言っても良し。王になるまでの過程が丁寧に描かれていた分、その後没落していくまでの描き方がやや雑な印象を受けた。権力にしがみついたらあとは早急に転がり落ちていく一方だ、と言いたかったのかもしれないが。
リチャードの死に方は賛否両論ありそうだが、シェイクスピア(だと私は考えている)が引導を渡すという構図はメタ的、かつ不条理で面白いと思った。作品における「神」は結局のところ作者なのだから。
④10/27フェスティバルトーキョー『パレスチナ・イヤーゼロ』
パレスチナを舞台にしたイスラエル演出家の舞台。イスラエルではあわや上演中止というところまで追い込まれた、とのこと。実際に見てみると、ストレートなイスラエルのパレスチナ政策批判で驚いた。なるほど、分からないように届ける、ではなく、万民に「分かる」ように届ける必要があるのだ、パレスチナの悲惨さは。ドキュメンタリー的作りで、挟み込まれる再現ドラマ風の芝居、淡々と積み上げられていく衝撃的な事実と瓦礫の山。一時間という短い「演劇」であったが、観劇後に残った重く苦い後味は普段見る演劇の比ではなかった。恐ろしいのは、これが今現在もパレスチナという地域でなおも繰り返されているという現実である。
⑤11/3@東京芸術劇場『オセロー』
ほぼ裸舞台だったのが先月観たリチャード三世と対照的だった。イアーゴーのあの全方向に嫉妬しすぎて自己矛盾に陥ってる感じが良かった。彼が本当は何を望んでいたのか、どうしたかったのかってところにヒントを与えつつ不確かなままにしておく、その塩梅が心地好かったな。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) November 3, 2017
ハードロック?が鳴り響くのに合わせてイアーゴーが本来の下道さを解放するあの場面はイアーゴーの言葉を聞こえないようにしたのが演出の妙だな。それまで言葉巧みに真意をかわし、隠し続けていた彼の本性がむき出しになるという。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) November 3, 2017
オセローに白人を起用したのは面白い試みだと思う。「黒人」というレッテルから解放することで人の心に根付く差別心が如何様にも適用されることを示した。学校の教室という空間ではどんな人間でも差別する側・される側になり得るように、差別は本来「枠」を越えて行われるもの。それを浮き彫りにした。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) November 3, 2017
最初キャシオーにハグしたオセローがその手でイアーゴーを抱き締めたところで前半が終わるというのは象徴的だった。後半ではオセローとイアーゴーはほぼ付かず離れずで行動してるんだけどいかにそうなったかがあの場面の抱擁に集約されてるな。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) November 3, 2017
布で覆われた仕切りが取り払われると裸舞台にガラス張りの部屋が現れる。開かれた空間はイアーゴーの底知れない悪意や、この世界そのものの広がりを、ガラスによって閉鎖された部屋は見えているようで見えない人の心、登場人物らが生きる狭い世界を思わせた。主要人物が最後あの部屋に集結する意味。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) November 3, 2017
最後のシーンでは狭い世界・狭い考えに囚われてその中で全てが終わっていくイメージを持った。
— 畑上Check (@Check_Kinoko) November 3, 2017
ツイートしなかった部分でほんのりと思ったことは、イアーゴーが無意識のうちにオセローに承認されたいという欲求を抱いているのではないかということ。承認されたい、と思いつつもオセローが「ムーア」であるという差別意識でその欲求が押さえつけられている。あり得ない、そんなはすがない、という自らの差別意識と憧憬の狭間で自己矛盾に陥っているのではないか、など。