As I Like It

「好きなことを好きなだけ」をモットーに好きなものについて好き勝手書くブログ。

oasis解散後のファンがLiam GallagherのAs You Wereを聴いた

「なんかoasis解散したんだって」


忘れもしないあの日、ネットサーフィンをしていた私はたまたま見つけたその見出しをoasisのファンであった母親に伝えた。ちょうど夕飯の準備をしていた母はそれを聞くと「またいつものネタでしょ」と言って笑った。まさか本当に、あの兄弟が完全に仲を違えてしまうなど想像すらしていなかったかのように。

しかしoasisは本当に解散してしまった。以来ノエルはソロ活動に勤しみ、リアムはリアムでoasis時代の仲間達とバンドを組み直した。oasisの面影が色濃く残るも、確実にoasisとは違ういびつな幻影。母親はノエルのソロアルバムは購入するも、Beady Eyeのアルバムには見向きもしなかった。リアムの声に惚れてoasisファンになったのにも関わらず。

と、当時の私は不思議に思ったものだが、その後私自身がoasisファンになったことで母の気持ちが分かるようになった。母が愛したのは唯一無二のリアムの声である。しかし、アルバムを聞き進めていくにつれてリアムの声は少しずつ変容し、その魅力は褪せていった。対照的にノエルはどんどんと自らの声に味を足していき、歌についてはリアム以上の安定感を手に入れた。母はノエルソロを聞くたび「ノエルは年を取って良い声になったね」と言っていた。声という武器すら、もはやリアムだけのものではなくなっていたのだ。

だが母も私も大きな思い違いをしていた。リアムは確かに唯一無二の声の持ち主だ。しかしそれと同時に、彼にはもうひとつ、声以上の力をもつ武器を持っていた。


それは、リアムがリアムであるということそのものである。


Beady Eyeが解散し、しばらく息を潜めていたリアムが突如発表したソロデビュー。リアムがまた仕事をするのか、その程度の認識だった私は、ソロデビュー曲であるWall of GlassをYoutubeで試聴した際、あまりの衝撃にしばし呆然としてしまった。そしてその瞬間に私はこれまでリアムの魅力を少しも理解していなかったことに気がついた。


リアムは唯一無二の声の持ち主である。そしてそれと同時に、唯一無二のロックンロールスターだった。


Wall of Glassを聴いた時に感じた胸の高鳴りは、oasisのMorning Gloryを初めて聴いたときのそれと類似していた。このわくわく、どきどき、期待、興奮、歓喜、これら全てが入り交じったような言い知れぬ高揚感はボーカルがリアム・ギャラガーでなければ感じられないものだった。リアムの声、そしてリアムという存在そのものが、ロックンロールが本来持つ夢と希望を、彼のいない数年間の間に世界が忘れかけていたものを眼前に突き付けた。Wall of Glassでリアムが投げた石は、リアムを取り囲んでいた世間の冷たい壁を粉々に打ち砕き、世界はリアム・ギャラガーの帰還を今か今かと待ちわびた。


そして、リアムは戻ってきた。
As you wereという、リアムがリアムであることをこれでもかと示すアルバムを引っ提げて。その一曲一曲に、かつて皆が愛した彼の魂を込めて。

全ての曲がリアム・ギャラガーを活かし、リアムをリアム足らしめている。リアムの好きな音楽のエッセンス、リアムらしい歌い方、メロディ、編曲、どこを取っても頭から爪先までリアムが詰まっている。

そんなアルバム曲の中でも私が気に入ったのはPaper Crownだ。この曲はリアムが作った曲ではない。アルバムの共同制作者が作ったものだ。元々この曲のメロディ、アレンジ共に気に入っていたがそれを知った後、もう一度改めて聞いてみて思った。この曲がこれほど素晴らしい曲になり得たのは、ひとえに共同制作者の方々がリアムの良さを最大限に引き出すことを考えて作曲・編曲したからだ。序盤のアコースティック、その後の主張しすぎずしかし確実に盛り上げる伴奏はリアムの天性のボーカルを引き立て、またメロディは彼の声が最も魅力的に映える音域を主としつつ彼の裏声の美しさをも引き出している。リアムのあの声の上に更にリアムの声が重なって奏でられる贅沢なハーモニーにうっとりと聞き惚れた者も多いだろう。これら全ては、リアム・ギャラガーのためだけに施された故意の芸術なのだ。

この一曲は、アルバム成功の理由を物語っている。リアムの復活を、その何者にも代えがたい天性の魅力を信じた人々による、彼のためだけのアルバム、それがこのAs you wereだった。それはグループとしての成功を重視するバンドの中にあってはきっと起こり得なかったろう。ソロになったことで、リアムはもう一度ロックンロールスターに返り咲いた。


今の私がリアムのアルバムを聞いて思うことは一つ。


oasisはやはり、ノエル一人のものではなかった。oasisは二人のものなのだ。どちらが欠けてもoasisになり得ないのだ。


oasis復活を夢見る私が、ふともうoasisは復活しなくても良いかもしれないと、アルバムを聴きながらそう思う瞬間があった。結局のところoasisというバンドは、バンドという体をとりながら実際はギャラガー兄弟の共同プロデュース事業だった。しかし一緒にいることがもはや互いの、もしくは片方の魅力を殺すことでしかないのであれば、それぞれが自分のために生きて行けば良いのだと。

来月、ノエルの新作を手元に置いた私は一体何を思うのだろう。
今までノエルのソロを聞いてこんな風に思うことはなかった。むしろ、ロックなナンバーを聞けば頭にリアムの顔がちらつくことが多かった。果たして私は、今と同じ気持ちになるのだろうか。全ては一ヶ月後にかかっている。